作品解説/【日本語参考訳】《物語は語りのなかに》
——何を言えばいいのか、本当に何も思い浮かばないんだ。
——それって、誰に向かって話してるの?あの人たち?それとも私に?
——あの人たちって誰のこと?
——私以外にここにいる誰か…って意味だよ。
——うーん、たぶん両方かな。というか、誰でもいいんだと思う。聞いてくれる誰かがいるなら、その人に話してる気がするの。
——あなたは、小さくて灰色のねずみのアニマトロニクス彫刻で、人間の言葉を話すようにプログラムされているんだよね。
——えっ、じゃあ私は…ロボットってこと?私たち、ロボット扱いなの?
——私と本物のねずみの違いは、まず生きていないこと。そして本物のねずみは、言葉を話さないということ。
——オリーブ、どうしてそんな不思議な口調なの?
——私は『The story is in the telling, 2025』という作品の第1号エディションなの。作者はイギリスのアーティスト、ライアン・ガンダー。
——何の話?ふざけてるの?
——この語りの構想は、2025年3月23日に考案されたの。その日の朝早く、アーティストのサフォークの家で書かれたスクリプトに基づいて、私は話しているの。
——うん、もうやめてくれない?ちょっと鬱陶しくなってきたんだけど。
——でも私は、ちゃんと組み立てられて…
——私たちは、私たち自身について語るためにここにいるの。イギリスのアーティスト、ライアン・ガンダーによる作品として生まれたんだよ。いくつかの目的を持って構想されたけど、いちばんの目的は、他のどんな作品よりも優れたアートを作ることなんだって。アーティストにとって“優れた作品”の指標は、人を驚かせること、予想を裏切ること、美術史や人類の知識に新しい視点を加えること、そしてなにより、彼が最も尊敬する他のアーティストたちに“前向きな嫉妬”を抱かせることなんだって。それが、アーティストの世界で言う「アーティストズ・アーティスト」ってやつ。
——へえ。つまり、友だちの作品を見て「くそっ、負けてられない」ってなったら、すぐにスタジオにこもりたくなるってこと?
——そういうこと。私じゃなくて、アーティストたちがね。
——そのために、いろんな感情を呼び起こす手法を使うんでしょ?好奇心、不信感、魅了、共感、混乱、ユーモア、謙虚さ、悲しみ、愛、喜び、不確実さ、あいまいさ…そういう感情をうまく使って、観る人が作品から目を離せなくするの。
——あのさ、でも今私、ねずみが2匹見えてるよ…
——いいアーティストはね、作品に“親しみ”を持たせることができるのよ。
——私、2匹のねずみが見える。まあ、実際には1匹しか見えないけど。だって私がもう1匹だから。もし私が観客だったら、2匹が話してるように見えるんだよね。あなたと私、というか、私とあなた。
——そうだけど、私たちは本物のねずみじゃないわ。人間の言葉を話すようにプログラムされた、小さな灰色のアニマトロニクス彫刻。
——でも私にとっては、本物なの。だって私が“本物”だと思えば、それは現実になる。オリーブも想像してみてよ、私たちが本物だったらって。できる?
——現実っていうのは、信じることをやめる“ふり”ができるかどうか、つまり“信じることの中断”にかかってるの。
——それって答えになってないよ。私たちが本物って、思えるかどうかを聞いてるの。
——(咳払い)
——初めてアート作品に出会ったとき、私たちは無意識のうちにたくさんのサインや象徴を読み取って、その作品が世界の中でどんな位置づけにあるのかを判断しようとする。それが“セミオティクス”っていう学問。でもアーティストたちはそれを“読み(リーディング)”って呼んでるわ。未知のものに出会ったとき、数千もの問いと答えが一瞬で頭を駆けめぐるの。それを過去の経験や、無意識に抱いた偏見を使って埋めていくの。
——でもさ、それが私のやってることだって、どうしてわかるの?私、ただ感じてるだけかもしれないよ?“読み”なんてしてない。“空気感”で全部受け取ってるかもしれない。なんで“同じ感じ方”を求めるの?違ったっていいじゃん。
——私たちは、新しいものと出会ったとき、本能的に…
——ねえ、マウス。ちゃんと答えてよ、私の質問に!
——あなたは、自分が感じたいように感じていいの。
——でもさ、なんで質問を質問で返すの?答えたくない質問をごまかしてるだけでしょ?それって、政治家がよくやるやつじゃん。
——…話、続けてもいい?
——別に失礼なつもりはないけど、ちゃんと質問には答えたほうがいいと思うよ。
——…続けてもいいかしら?
——まあ、どうせ私が何言っても、続けるんでしょ?
——私たちは無意識にその物の位置づけを考えるの。用途は?価格は?機能は?価値は?所有者は?作者は?
——うん、もうわかったってば。用途、価格、機能、価値、所有、作者、そして…動機。
——動機は…言ってない。
——でも“動機”って大事でしょ?あなたも言ってたじゃない、アーティストズ・アーティストを目指す“動機”がいちばん大事って。だから私は思うの、自分が何のためにアートを作っているのか、その“本当の動機”に正直になれたとき、人は迷いや恐れや先延ばしから解放されるんじゃないかって。
——先延ばし…(一緒に)
——そう、“先延ばし”。アーティスト最大の弱点。自分のアイデアに取りかかる前に、ぐだぐだ考えて、結局やらないやつ。
——ふむ…(一緒に)
——さあ、自分に問いかけてみてよ。あなたの動機は何?(一緒に)
——あ、ごめん。あなたって質問には答えないんだったよね?(一緒に)
——黙っちゃったの?(一緒に)
——何が、言うに値するのかな?(一緒に)
——…なんだって?(一緒に)
——…ずっと昔、恋をしてたことがあったな…