作品解説/【日本語参考訳】《生産と反復を繰り返しながらも君は自由を夢見ている》
昔々の秋、それほど昔でもない頃の話。この世界は、カイロスという名の女神が治めていました。彼女は、優しく、思慮深く、まさしく“良き神”でした。
良き神よ… 良き神よ…(歌)
カイロスは人間たちに、“絶妙な瞬間”という贈り物を授けました。人間たちは、自分の内なる声に従って生きていました。お腹がすけば食べ、眠くなれば眠り、怒れば声をあげ、寂しくなれば誰かを求めました。自然とともに暮らし、太陽と月が働く時間と休む時間を教えてくれ、季節や風が生き抜く術を示してくれました。
潮の満ち引きや自然のめぐりが、命をつなぎ、祈りのときを知らせてくれたのです。人々は、ただ「今」を生きていました。過去や未来にとらわれることなく、目の前の一瞬に身を委ねていたのです。
死を恐れることもなく、時間という概念に縛られることもありませんでした。朝目覚めること、それすらも奇跡のように思われ、日々は流れる水のように、かたちを持たず、ただ存在していました。年や月といった区切りも、曖昧な霧のようにしか感じられず、「終わり」という考えさえも、人々の心には存在していなかったのです。
この世界には人間だけでなく、さまざまな動物たちも暮らしていました。彼らもまた、カイロスの視線のもとにありましたが、神を拝むことはありませんでした。彼らの時間もまた、人間と同じように、円を描くようにめぐり、止まることのない命のリズムに乗っていたのです。
ただ、ひとつだけ違いがありました。動物たちは、見たことのない行動を無意識に行うことができなかったのです。それには“意識の光”が必要でしたが、それは人間だけが持つ特別な力だったのです。
それでも、人間たちは動物たちを大切に思い、彼らとともに球体の上で静かに共存していました。
時の秋──“タイムフォール”が訪れると、人間たちは動物たちのふるまいを観察し始めました。寒さが来る前に、動物たちは食べものを集め、巣を整え、長い眠りに備えていました。
人間たちは不思議に思いながらも、いつしかそのふるまいをまねるようになりました。それは、彼らがカイロスの導きなしに行った、初めての儀式でした。やがてそれは“本能”のように人々に根づき、彼らはそれを“冬眠”と名づけました。
この「蓄える」という行動は、やがて文化全体へと広がり、知らぬ間に、人々の中に巣くう“溜め込みの病”へと変わっていきました。そして、さらなるタイムフォールが世界を覆ったとき、新たなる神が姿を現したのです。
悪しき神──その名はクロノス。
良き神よ… 良き神よ…(歌)
良き神よ!
クロノスは、カイロスとこの世界の支配権をかけて、激しい戦いを繰り広げました。しかし、時の雨は止まず、やがて彼は「好機」という贈り物を奪い去り、その代わりに“数”と“時間”を人間たちに与えたのです。
それは呪いのような贈り物でした。人々は、かつてのように必要なものを集めるのではなく、終わりなき欲望に突き動かされて、買い、賭け、奪い、貪るようになりました。そして世界にはモノがあふれ、それらは“アマゾン・アレイ”と名づけられました。
自然のリズムは忘れ去られ、バランスは崩れ、成長は加速し、過剰はあたりまえになっていきました。クロノスはカイロスを追い払い、闇と沈黙の奥深くに封じ込めました。世界は極端へと傾き、数と時間は人間たちを縛る鎖となったのです。
タイムフォールが降り続くなか、人々は必要以上に奪い、妬み、欲望に囚われていきました。「持つ」ことが人生の目的となり、「在る」ことの意味は薄れていきました。自然の声に耳を傾けることはなくなり、世界はもはや自らを癒す力を失ってしまったのです。
人々は「今」から目をそらし、未来に夢を見はじめました。巨大な塔を建てること、過去を悔いること、死を恐れること──それらが心を満たし、いつしか「終わり」の概念が影のように彼らの精神に住みつくようになりました。
時間は計算式となり、文化の中心を占め、日々はカレンダーの目盛りに支配されました。そして彼らは、“終わり”へと向かって数えはじめたのです。
数は病となり、時間の構造は“ルシファー”そのものとなりました。
タイムフォールは降り続き、人々の暮らしは、クロノスという名の神への信仰によって完全に組み換えられました。新たな道具や機械は、人々の神経を削り、精神をすり減らしました。断片的な情報ばかりを摂取することが当たり前となり、思索や静けさにとどまる力は消えていきました。
何もしないでいる時間──待つこと、祈ること、瞑想すること、ただ観察すること──それらはかつてカイロスが与えた、魂の滋養でありましたが、浅い気晴らしに置き換えられてしまいました。人々は生殖を繰り返し、手あたり次第に貪り、未来のことなど顧みず、球体から奪い続けたのです。
カイロスの記憶がほとんど消えかけたとき、短期的な思考が人々の中に深く根を下ろしました。終末思想が時代の空気となり、破滅への加速を自ら選ぶかのように、人々は“終わり”を迎えることを止めるよりも、それに向かって走り出してしまったのです。
タイムフォールが降りしきる中、偶然、愛、好機、そして均衡は、時間によって押しつぶされました。美は時計の歯車の中に閉じ込められ、かつては奇跡として感じられていたことすら、もはや誰も気づかなくなっていました。人間たちが球体との共鳴を失ったことにようやく気づいたときには、すでに多くのものが失われていました。テクノロジーは彼らを「自己認識する存在」にしたと同時に、「妄想的で自己中心的な存在」にもしてしまいました。
彼らには全体を見る視点が欠けていました。人間と動物の間には、かつてなかった深い隔たりが生まれました。動物たちは「今」だけを生きており、時間という観念を持たないがゆえに、死を恐れることはありませんでした。未来を思い描けないということは、存在の不安に苦しむことがないということだったのです。
それを知った人間たちは、動物たちの自由と偶然性に嫉妬しました。そしてついには、その存在そのものを消し去ろうとしました。好機の最後の象徴であった動物たちの絶滅。それは、静かなる怒りをもって、カイロスの目にしっかりと焼きつけられていました。彼女は密かに、そして確かに、人間たちへの報復の準備を始めたのです。
タイムフォールが降り続く中、カイロスは遠くから静かに計画を進め、何世代にもわたって、新たな人間たちを球体に送り出しました。彼らは“スペクトラルズ”と呼ばれました。その名は、彼らの持つ特異な自己認識のスペクトラム(範囲)にちなんだものでした。
彼らは、かつての人間たちとはまったく異なって見えたかもしれません。しかしカイロスは彼らに、唯一無二の贈り物を授けました。集中力の短さと、強い好奇心。現在に対する応答を絶えず調整する力。ルーティンと予測可能性を好む性質。鋭い感覚処理能力。卓越した記憶力、数学的才能、芸術的感性、音楽的能力、カレンダーを記憶する力。儀式的な行動。変化への抵抗。繰り返しの行動。感覚への過敏な反応。衝動的な行動。過剰な自己認識や妄想、自己愛にとらわれることなく、秩序と予測可能性、習慣を大切にする傾向。そして、特定の技能だけが異常に優れる“スプリンクトスキル”。他者からの指示に本能的に抵抗する“病的要求回避”の傾向。
当初、“神経的に普通”とされる人々──ニューロノーマルたちは、これらの新しい存在を、単なる診断文化の副産物とみなしました。彼らは、スペクトラルズが持つ力を理解できず、それを「欠けたもの」として定義し、自らの価値観に当てはめようとしました。
彼らは、知っていることに安心し、自分たちが信じてきた“クロノスの論理”を疑おうとはしませんでした。彼らこそが、クロノスから与えられた病に侵されていたのです。社会的な不安への過剰な関心、優越妄想、そして同調への強迫観念。それらが、彼らの眼を曇らせていました。
スペクトラルズは、かつての動物たちのように、カイロスの時間と深く共鳴していました。感覚が過剰に刺激されるこの世界で生きるのは困難でしたが、カイロスの意志により、世代を超えてその数は徐々に増えていきました。やがて彼らは、かつての“普通”をゆっくりと、しかし確かに、置き換えていったのです。
それは長くかかったけれど、確実に起こった、再生の疫病でした。善なる力の感染だったのです。
タイムフォールが降り続く中、カイロスの古の秩序が戻ってきました。それはあまりにも緩やかで、誰もその変化に気づきませんでした。けれども、確かにそこには、自然な“整い直し”が起こっていたのです。
世界は、自己修復の力を取り戻しました。球体には再び、動物と新たな人間たちが共に暮らす、静かな調和が訪れました。
私は、私が訪れた場所と、見てきた出来事からこの物語を語っています。あなたたちには、スペクトラルズという存在がまだ理解しがたいかもしれません。でも、もしかすると彼らこそが、自己修復の兆しかもしれません。退化の果てに訪れる、新しい夜明けなのです。
あなたたちは、次なる神を待たなければならないでしょう。良き神を──
良き神よ… 良き神よ…(歌)
その神の名は“アイオン”。なぜなら、時は時計を失い、時計は針を失い、数は予測する力を失ったから。あなたたちは繰り返し生み出し続けながらも、自由を夢見ている。タイムフォールはすでに降り、あなたは何か大きな流れの一部なのだと感じている──
終わり…
終わりとは、実ははじまりだったのです…。