インタビュー

ピカソが私に教えてくれたこと #2 峯澤典子(詩人)

12/23 2022

ポーラ美術館が収蔵するパブロ・ピカソの「青の時代」の代表作《海辺の母子像》。多くの人を惹きつけてやまない本作を中心に、詩人・峯澤典子さんと「ピカソ 青の時代を超えて」展の担当学芸員・今井敬子が語りました。詩人のやわらかな感性と、長年の研究、最新の調査から見えてきた、青年ピカソの想いとは。

 

Text: Mirai Matsuzaki

photo: Akira Kitaoka

峯澤典子(みねさわ・のりこ)

詩人。茨城県生まれ。2008年、月刊誌『ユリイカ』の詩の投稿欄で新人に選ばれ、第一詩集『水版画』(ふらんす堂)を刊行。2014年に『ひかりの途上で』(七月堂)で第64回H氏賞を受賞。2017年『あのとき冬の子どもたち』(七月堂)刊行。2019年以降、表参道スパイラルや山口市立中央図書館などで詩の教室の講師を務める。第四詩集『微熱期』(思潮社)は、第60回歴程賞を受賞。

今井敬子(いまい・けいこ)

ポーラ美術館 学芸課長。上智大学文学部フランス文学科卒業、ルーヴル美術学院学士課程修了、パリ第4大学ソルボンヌ考古学美術史学科修士課程修了。専門はフランス美術を始めとする20世紀美術。おもな担当展覧会は「ピカソ 5つのテーマ」(2006年)、「アンリ・ルソー パリの空の下で」(2010-2011年)、「紙片の宇宙 シャガール、マティス、ミロ、ダリの挿絵本」(2014-2015年)、「ピカソとシャガール 愛と平和の讃歌」(2017年)。

画家と詩人、それぞれの青の時代

今井

まずは歴程賞のご受賞おめでとうございます。峯澤さんがフランス文学に明るい方だとうかがって、お会いするのを楽しみにしていたんです。

峯澤

ありがとうございます。留学経験があるという程度で、本当にお恥ずかしい限りですが……。95年から一年間リヨンに留学しておりまして、その時に巡った美術館の一つにパリのピカソ美術館があります。それまで私の中ではどこか近寄りがたかったピカソのイメージが、そこで大きく変わりました。生命の輝き、人間をどう描くかということに向き合い続けた画家なんだ、と。今日はその時の思い出をたぐりながら、展覧会を拝見しました。

今井

峯澤さんが留学されていた時期、実は私もパリで美術史を学んでいたんです。ピカソ美術館の建物はもともと17世紀に建てられた豪奢な邸宅で、比較的小ぢんまりとした美術館です。画家の人生の中に入り込んでいけるような雰囲気がありますよね。

峯澤

はい。日常の空間から、絵画と向き合う空間に継ぎ目なく入って行けて、そこで得たものを、自分の日常の時間の中にそのまま持ち帰ることができる、という体験はとても貴重でした。それ以降、自分の絵画の見方も変わったように思います。今回のポーラ美術館の企画展も、ピカソの長い人生がぎゅっと凝縮されていて、彼の作風の変遷を、共感を持ってたどることができました。

今井

ピカソを少しでも近しい存在に感じ、彼の制作に近づけるような展覧会を目指して準備を進めてきたので、とても嬉しいです。峯澤さんの最新詩集『微熱期 BLUE PERIOD』には様々な形式の詩が収録されていますが、一人静かに言葉と向き合う時間を生み出す構成は、私が理想とする展覧会のしつらえに近いように感じました。タイトルの「BLUE PERIOD」にはどのような意味を込められたのですか?

手前から『微熱期 BLUE PERIOD』(著・峯澤典子、思潮社)、「ピカソ青の時代を超えて」展覧会図録(編著・ポーラ美術館/ひろしま美術館、青幻舎)。

峯澤

「微熱期」の意訳として使っています。「BLUE PERIOD」という言葉は、一般的にはピカソの「青の時代」を指し、青春期や思春期と結び付けられますが、私にとっての青春は微熱と結びついているんです。『微熱期』の詩を書いている間、私は机の前の壁に、ピカソの《海辺の母子像》の絵葉書をずっと飾っていました。自分にとっての「青の時代」の名を冠した詩集を作るに当たって、自分の内なるイメージと言葉をつなぐ、シンボルとなるようなものが欲しいと思ったんです。

今井

まあ、そうなんですね。私は峯澤さんの詩集を読みながら、何度も《海辺の母子像》のことを思い起こしていたんです。

峯澤

私も対談のお話をいただいた時は、びっくりしました。ゆるやかに続いていく微熱は、生まれてから死ぬまで自分の中にずっとくすぶり続けているもの、不安やとまどい、孤独といった翳りのある熱です。どこか不安で、でも穏やかで、ただ絶望だけではない、それを覆うような静けさに満ちた《海辺の母子像》は、私の中に沈んだ微熱のイメージに極めて近いものでした。

私は昔から空や海を眺めるのが好きでしたが、自然界にある青色だけでなく、芸術家が創作物として作ってきた青色もまた、自分の中には一つの大事なシーンとして眠っていると思います。今回の『微熱期』は、今までのようにあらかじめ詩の形式を定めて言葉をコントロールするのではなく、自分の中に潜む青色が呼んでくる言葉に任せて書くことを試みた詩集なんです。

絵画の温度、画家の熱

夜になれば

わたしの頬にはのこらない

朝焼けのぬくもりをつつみこむ

薔薇のつぼみのねむりをランプのひとつに

峯澤典子「未完の夏の眼に」(『微熱期』所収)より一部引用

峯澤

今回ぜひ今井さんに伺いたかったのは、《海辺の母子像》でただ一点鮮やかに塗られた赤い花についてです。この花にはどんな意味があるのでしょうか。

今井

この赤い花を巡っては様々な解釈があります。この作品を所有していたフォンボナ医師の家では、この作品を「悪の華」と呼んでいたそうなんです。ピカソは病気の治療のお礼にこの作品を贈ったと伝えられていて、当時の流行病や血を連想させる赤でもあったのでしょう。

またピカソは、パリのサン=ラザール刑務所に収監されていた女性たちを繰り返しモデルとして描いていました。刑務所の女性たちの多くは娼婦であり、施設内では性病の治療が行われ、育児も認められていました。犯罪に手を染めた、あるいは染めざるを得なかった絶望的な境遇の中でも、我が子を抱いて懸命に生きようとする女性たちの姿に、若いピカソは強い感銘を受けたのだと思います。つまり《海辺の母子像》は、西洋絵画の伝統的な聖なる母子像ではなく、罪を背負った母子像と見ることができるんです。

ただ私は、簡単に聖/俗を切り分けることのできないものを、ピカソはこの作品で描こうとしたのではないかと思っています。胸に抱かれた青白い顔の赤ん坊は、生命の象徴とも死の象徴ともとらえられる描き方をしています。妹の病死、親友の自殺と、ピカソの青春期は身近な人の死が影を落としている。私は、この赤い花は人間の生と死の両方に捧げられた花なのではないかと感じています。

中央に写るのが1902年、20歳のピカソが描いた《海辺の母子像》。

峯澤

私も、この花は生と死の境に咲く花のように思います。この花があることで、この作品はただ陰鬱なだけでない、温度を有しています。私は幼い頃から、生きることの根底にある寂しさを日々の暮らしの中で感じていました。私は詩の中で、人間を「水辺の孤児」と形容しているのですが、地球という水辺に生きる私たちは、何も持たずに生まれ何も持たずに死んでいく、身寄りのない子供のような存在だと思っています。

でも、ほのかな光、魂を温める火が見つかれば、たとえそれが遠く対岸の光であっても、そこを目指して人は歩いて行ける。燐寸のともしびのような希望を、いつも詩のどこかに潜ませたいと思っているんです。その光というのは人によって、信頼できる人物であったり、安心できる場所であったり、心の中で大事に持っている何かだったりするのだと思います。

今井

絵画の中に温度を感じる峯澤さんの感性は、私には新鮮でした。改めてピカソという画家に目を向けてみると、燃えたぎるような熱を感じる作品が多いですね。けれど20代前半の「青の時代」の作品群は、何かを守ろうとしているかのように、冷たく、まるで蝋で固められたかのよう。その後「バラ色の時代」を迎えて、その蝋が人肌の温もりを持って、ふわっと溶けていく。

岩山のふもとにあるオルタの山村で生み出されたキュビスムの作品には、大地が地殻変動を起こした、太古の時代の地底の熱が表れているようにも見えます。その後のスペイン内戦、第二次世界大戦下では、やるせない現実に対して頭が煮えたぎっていたのかも知れません。熱というキーワードでピカソの作品を観ていくのは面白い試みですね。時代や作品によって、熱の在処も、熱源も異なっているように思います。

峯澤

外に向けて発散されている熱もあれば、内にこもって芯となっている熱もあって、今回の企画展では、そうしたピカソの変化し続ける熱、波打つ熱を感じ取ることができました。

ピカソの心の中の海景

満潮の近づくたびに群青の涙あふれる兄のパレット

峯澤典子「ブルーピリオド ドロップス」(『微熱期』所収)より一部引用

今井

先ほど、私たちは「水辺の孤児」であるというお話がありました。《海辺の母子像》は、これまで20歳のピカソが故郷バルセロナの海を描いたものと考えられていましたが、最近の調査によって、パリ滞在中に描いていたことが分かったんです。このことから《海辺の母子像》に描かれた海を、彼が心の中に抱いていた海ととらえることも可能です。パリを去る前に、ピカソが心の中の海を取り出したいという衝動に駆られたのだとすれば、その理由は何であったのか。今後さらに丁寧に調べていきたいと思っています。

峯澤

興味深いお話ですね。《海辺の母子像》は、いろいろな読み取りが可能で、私の体調や精神状態によっても日々違った意味をはね返してきました。今日は、展示室でこの作品の前に長い時間立っていたのですけれど、作品の内側にある光を感じました。画家の内面の光を映した海の青色が、私自身の内側にある青色と呼応して、現実以上の、真実の海を見せられているように感じたんです。私は実際には見たことがないはずの海景が、どこか懐かしく、いつまでも見つめていたいと思いました。

今井

まったく同感です。また最近の科学的調査で《海辺の母子像》の絵の下には何層も別の作品が描かれていたことも分かりました。満足に画材を揃えられなかった当時のピカソの経済的な理由が考えられますが、カンヴァスを再利用する場合、一度画面全体を塗りつぶすのが一般的であろうところ、ピカソは前に描いた作品の色や形をベースにして新しい作品を描いていました。彼にとって絵の具を塗り重ねる行為は、決してその下にあるものを消し去るものではなく、描いたものすべてがカンヴァスの上に存在していたのだと思います。

峯澤

今伺ったピカソの制作のプロセスは、詩を書くときのお手本にしたくなります。ひとつひとつの言葉には、古典から現代に至る長い歴史があります。日本語の中でどう使われてきたか、自分が生きてきた中でその言葉とどう付き合ってきたか。その言葉が通ってきた道すじ、積み重ねてきた時間を、私はできるだけ大事にしたいと思います。だからこそ、詩の上にその一語を置くまでに、私個人の想い入れをいかに純化していくかが、とても難しいんです。

今井

詩も絵も、そうした時間の層の上に成立するという点で、リンクするところがあると思います。ピカソはおそらくパリ滞在期間中、このカンヴァスを半年ほど手元に置いて、折に触れ筆を重ねていったと思われます。そうして最後に到達したのが、今私たちが目にしている《海辺の母子像》なんです。

峯澤

「青の時代」の作品の中でも、私が特にこの作品を好きな理由の一つは、何かを隠しているような神秘的な雰囲気です。画面上のモチーフを次々と描き替えていく晩年の作品とはまた違い、《海辺の母子像》には下の絵を覆わざるを得ない切実な理由があった。包み隠そうとするほどに、内に秘めたものの存在が露わになって、いつまでも見飽きない青の深さを生んでいるのではないでしょうか。

今まで感覚的に作品から受け取っていたものが、事実によって裏付けされていくというのは不思議ですね。人間が本能的に得ている情報って、思いの外多いのだなと思いました。

今井

本能的ということは、天才といわれたピカソも私たちも、同じ人間だということでもありますよね。生きた時代や社会が違い、いろんな感覚が違っていたとしても、作品を介して通じ合える部分があるということには、いつも感動を覚えます。

峯澤

過去を否定しながら次々と新しい作品を生み出し続けたピカソが、それでも変えられなかったもの、抱え続けたものがあったということが今日は分かり、とても勇気づけられました。私も、心の奥底に抱き続けている想いを、熱を大切に、これからも詩を書き続けていきたいと思います。