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企 画

ロニ・ホーンと歩く、アイスランド

03/29 2022

アメリカ人現代アーティスト、ロニ・ホーンの創作活動の源流にあるのは、アイスランド。1975年から今日に至るまで彼女は定期的に旅をし、雄大で荒々しい自然や出会った人、得られた経験、そしてそこで見つけた“孤独”を、連作写真やインスタレーション、彫刻等さまざまな形で作品に昇華させてきました。「ロニ・ホーン:水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?」展の会期終了が近づく中、ロニ・ホーンとゆかりのあるいくつかの地点を辿りながら、彼女に絶えず刺激を与えるアイスランドという土地を、改めてひもときます。

 

取材協力:小倉悠加(アイスランド在住ライター)

遠いようで近く、小さいようで大きい、炎と氷の島。

“自分を見失えるだけの大きさだし、自分を見つけられるだけの小ささだ”

―「ロニ・ホーン:水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?」展図録より

 

ロニ・ホーンがこう表現するアイスランドは、北海道と四国を併せたほどの、およそ10万平方キロメートルの広さ。総人口は37万人に満たない小さな島国です。北極圏にほど近いヨーロッパ大陸の北西に位置し、日本からの距離はおよそ8600km、とはるか彼方にあるように思えるアイスランドですが、日本とはいくつかの共通点があります。まずは、島国であり、漁業が盛んであること。そして、多くの活火山が存在し、温泉文化が栄えている国であること。また小規模な国ながらも、アイスランド語という独自の言語、そしてアイスランドクローナという独自通貨を持っていることも、日本と近しい点と言えるのではないでしょうか。

 

ロニ・ホーンが多くの作品においてモティーフにしているのが独特の自然景観。氷河と火山によって構成され、“地球のはじまり”を思わせるような手つかずの雄大な自然が広がっています。ほかにも氷河による浸食作用によって出来上がった複雑な入り江=フィヨルドが点在していたり、130以上の火山によって作り出された溶岩台地からは間欠泉が吹き上がっていたり。その特異でダイナミックな自然景観が、多くの人を魅了しています。

ストロックル間欠泉。5〜10分おきに大量の水が20m近い高さまで吹き上がる。(Photo: tunart / Getty Images)

国内の人口のおよそ7割が集中するのが、首都レイキャビク。徒歩圏内に公共機関やショッピングセンター、繁華街、プールなどが集中する小さな町です。首都としては世界最北の北緯64度に位置しますが、暖流の影響で真冬でも最低気温はマイナス10度程度と、北極圏の間近にしては比較的穏やか。ただし、海沿いは風の影響を受けやすく、強風や吹雪の日には体感気温が一気に下がります。日照時間は夏は21時間、冬は3時間という特異な環境ですが、人々はその環境に順応し、豊かに暮らしています。

山々とも近接した首都のレイキャビク。(Photo: Boy_Anupong / Getty Images)

突如あらわれた“すべてのはじまり” スルツェイ島

“長い間海上から噴煙が上がり、何も見えなかった場所に島が出現したのですが、なぜかその映像に、私は心を突き動かされました。なにかユニークで、パワフルなものだと思ったのです”

―2022年3月4日公開『朝日新聞GLOBE+』本人インタビューより

巨大な岩山のようなスルツェイ島。(Photo: Arctic-Images / Getty Images)

「自分でもどうしてアイスランドを選んだのか分かりません」。そう口にするロニ・ホーンですが、アイスランドについての最も古い記憶は1963年だといいます。それは、海底火山の噴火により、アイスランドの南西部、北大西洋上に新たな島が出現したこと。そうして生まれたのが、現在のスルツェイ島です。面積は3平方キロメートルに満たない小さな島ですが、海底火山の噴火による島の形成は、今私たちが暮らす大陸が出来上がった過程そのもの。海底の火山活動に新島が誕生したモデルケースとして、どのような生態系を育み、姿を変えていくのか、火山学者、地質学者、生態学者らが研究を進め注視しています。なお、2008年にはユネスコ世界遺産に登録。一般の人々が上陸することは叶いませんが、ヴェストマン諸島のヘイエマイ島から、その姿を目にすることができます。

“シンプル”な営みが広がる、パトレクスフィヨルズル。

“アイスランドでも最も古い地形を残しているエリアで、私にとって最も美しい場所の一つです。何と言っても、とても、とてもシンプルなのです。“

―2022年3月4日公開『朝日新聞GLOBE+』本人インタビューより

パトレクスフィヨルズルの静かな海。(Photo: Daniel Bosma / Getty Images)

1970年代後半から80年代初頭、オフロードバイクにテントや寝袋を積み、放浪の旅を続けていたロニ・ホーンが、一時的に腰を落ち着けたのが、西部フィヨルドに位置する人口700人程度の小さな村・パトレクスフィヨルズルです。レイキャビクからは北へ車で4時間ほど進んだ場所にあります。西部フィヨルドは、アイスランド国内の中でも特に険しい山地であり、複雑に入り組んだ地形が残っているエリア。この地帯を巡るための交通の要衝、分岐点としても機能するこの村は、深い入り江であるがゆえに、海が凪いでいて静か。開発から逃れ、風光明媚で手付かずの美しい風景が残っています。ちなみに平地の少ないこの村の経済は主に漁業に基づいており、彼女も、この村の魚加工工場で飛び込みでアルバイトをし、次の旅の資金を蓄えたのだそうです。

孤独を知り、己と向き合った、ディルホゥラエイ。

“それまでは、キャンプをしながら旅をしていたのですが、アイスランドの南部に位置する灯台の中で宿泊することが許可されたのです。ひとりで6週間そこに滞在しました。(中略)そして、すでに1ヶ月以上も誰とも会話をせず孤独に暮らしていたとき──非常に霧が濃い日でした──私は崖の上に座っていて、突然、恐怖心に襲われました。”

―2021年12月5日公開『美術手帖』WEBサイト 本人インタビューより

アーチ型の断崖が印象的なディルホゥラエイ岬。(Photo: Oleh_Slobodeniuk / Getty Images)

アイスランド本土の最南端を位置するのが、ディルホゥラエイ。旅の最中の1982年、ロニ・ホーンはこの岬に辿り着きました。シンボリックなのは、トゥインと呼ばれる巨大な穴が開いた奇怪なアーチ型の断崖。辺りには細かく砕かれた火山岩からなる黒い砂の浜辺=ブラックサンドビーチが広がるほか、マグマが冷えて固まる際に収縮してできる、「柱状節理」と呼ばれる柱状に連なる岩壁が連なっており、アイスランドの南海岸の美しい風景を一望できるといいます。また、野鳥保護区にも指定されているこのエリア。4月の後半から8月の下旬ごろにかけて、パフィンやケワタガモなど、希少な海鳥が飛び交う姿も見ることができます。

ロニ・ホーンが滞在したディルホゥラエイ灯台。(Photo: Opla / Getty Images)

実際にロニ・ホーンが滞在した灯台というのが、このエリアの地層の頂上に位置するディルホゥラエイ灯台。100年以上前に建てられた城のような灯台に腰を据え、荒涼とした景色を前に孤独と向き合うことで、彼女は「ブラフ・ライフ」と題するドローイング作品を生み出します。

ありのままの自然が幻想的な風景を作る、各地の温泉。

“I’ve been pool hopping. Searching out geothermal waters around the island. (中略)Without elaborateness or formality, these are the cathedrals of Iceland.” 

「私はプールからプールへと、転々としていました。島中の温水地を探し出していたのです。精巧さや形式こそありませんが、それらはアイスランドにおける聖堂のような場所です。」

―本人エッセイ『ISLAND ZOMBIE』より

日本と同様に火山大国であり、各地に天然の温泉が湧き出ているアイスランド。中には温泉施設として整備されているものもありますが、ロニ・ホーンは旅の途中で、あるいは6週間にわたって温泉に浸かる女性の表情を記録し続けた「あなたは天気」シリーズを制作するにあたり、市街地からは遠く離れた大自然の中にありのままに点在する温泉に足を運びました。例えば、本土の中心部に位置し、美しい山岳風景が広がるランドマンナロイガルもその一つ。温泉は、山々の狭間にある牧草地帯にポツンと位置しています。近年では木でできたボードウォークやタオルかけが設置されているため、温泉へのアクセスが向上。周辺には、キャンプやトレッキングを楽しむ観光客の姿も見られます。

ランドマンナロイガルの美しい山々。(Photo: akegooseberry / Getty Images)

ランドマンナロイガルの温泉。(Photo: Anastasiia Shavshyna / Getty Images)

そして、巨大な玄武岩でできた洞窟のような割れ目にあるのがグルジョタグジャの温泉。透明性が高く、美しい青色のお湯が幻想的な風景を作り出しています。現在は湯の温度が高すぎて、入浴することは禁止されています。他にも、西部フィヨルドの東端に位置するクロスネス。海岸沿いにプレハブの公共プールが設置されており、グリーンランド海を一望することができます。

グルジョタグジャの温泉。(Photo: Umkehrer / Getty Images)

クロスネスの温泉。(Photo: Feifei Cui-Paoluzzo / Getty Images)

荒々しく雄大で、野生的で美しいアイスランドの自然景観。今回取り上げた場所は、40年以上に渡ってこの土地を旅し続けるロニ・ホーンが歩いた中のごく一部に過ぎず、彼女が発表してきた数々の作品の中には、他にもさまざまな土地や自然のエッセンスが散りばめられています。作品の観賞を通じて、アイスランドへ思いを馳せてみるのも楽しみ方の一つ。ぜひ、思い思いに心の中で旅をしてみてください。

ロニ・ホーン:水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?

Roni Horn: When You See Your Reflection in Water, Do You Recognize the Water in You?

会期:2021年9月18日(土) 〜 2022年3月30日(水) 会期中無休

会場:ポーラ美術館 展示室1, 2 遊歩道

そのほか参考文献

『アイスランド・グリーンランド・北極を知るための65章』(明石書店)

『TRANSIT37号 アイスランド 地球の神秘を探して』(講談社)