支え無し

展示中
会場:展示室1
  • 作家名 ワシリー・カンディンスキー
  • 制作年 1923年
  • 技法・素材 油彩/カンヴァス
  • サイズ 97.3 x 93.7 cm
モスクワに生まれたカンディンスキーは、法律と経済学を学んだ後、30歳で画家を志し、ミュンヘンへ移住した。1909年には「ミュンヘン新芸術家協会」を設立する。1910年頃に事物の再現にはとらわれない絵画を模索し抽象にむかい、後に抽象絵画の創始者として認められた。1911年にはクレーやマルクらとともにドイツ表現主義を代表するグループのひとつ「ブラウエ・ライター」(青騎士)を組織し、独自の抽象絵画論『芸術における精神的なもの』(1912年)を発表。第一次大戦の開戦を機にいったんソヴィエトに帰国するが、1921年に再びドイツへ戻り、建築家グロピウスにより創設された総合造形学校「バウハウス」(1919-1933年)で1922年から閉鎖にいたるまで教鞭をとり、その後パリへ亡命した。 この《支え無し》では、白を基調とした背景がさまざまな元素を含んだ雲のように色彩を帯び、幾何学形態のモティーフを浮遊させ、ピラミッド型の安定した構図のこの絵画を、絶えまなく変動する空間へと仕立てている。その空間にはじつに多様な世界が共存している。画面左には、猛々しい馬の首のような褐色のシルエットが突き伸び、中央には三原色に塗られた円が求心力を発揮し、画面のあちらこちらで赤、緑、黄の三角形が高揚感のなかに漂っている。 先進的な芸術活動の拠点だったバウハウスで、カンディンスキーは絵画、版画の制作と芸術理論において空間の思考を深めており、本作品を制作した頃には、とりわけ線のもつ無限の可能性に関心を抱いていた。カンディンスキーはすぐれた理論家でもあったのだが、この作品に描かれた幾何学形態とダイナミックな線は、あるものは高みにむかう精神性の希求を表わし、あるものは詩情溢れる有機的なエネルギーを発散し、観念や理性ではとらえることのできない深遠な世界を繰り広げている。