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このアルバムは、歌手イヴェット・ギルベール(1865- 1944)に捧げられている。このアルバムは、番号入りで100部制作され、50フランで販売された。イヴェットはそのひとつひとつの中表紙に緑のクレヨンで署名している。彼女はノルマンディ地方に生まれ、職を転々とした後に1887年からカフェ=コンセールやキャバレーで歌い始め、「世紀末のディズーズ(語り歌う女性歌手)」として人気を得た。ロートレックとは1893年に作詞家モーリス・ドネーの紹介で知り合った。テキストは、ロートレックの熱狂的な支持者であった批評家ギュスターヴ・ジェフロワが手がけているが、内容はおもにカフェ=コンセールの観客の様子を考察したものである。
アルバムの表紙には、黒い長手袋とおしろいをはたくパフが描かれている。この手袋は、イヴェットが舞台でつねに着けていたもので、彼女のトレードマークであった。ロートレックは、ボックス席で歌を聴くジャヌ・アヴリルを描いたカフェ=コンセールのポスター《ディヴァン・ジャポネ》(1892-1893年)で、舞台上にたつ歌手の首から下の姿を描いているが、顔はわからなくても黒い長手袋でイヴェットであることが推察できるのである。この脱ぎ捨てられた手袋は、平面的に描かれているものの、うねるような形態がイヴェットの存在を感じさせるばかりでなく、まるでそれ自体が生きているかのような生命感をもっている。表紙の習作《イヴェット・ギルベールの黒手袋》(1894年、トゥールーズ=ロートレック美術館蔵)をみると、ロートレックが題字の“Yvette Guilbert”に配慮しつつ、手袋の輪郭を決めていったことがうかがわれる。
オリーブ・グリーンで刷られている16点の挿絵では、普段着で傘を抱えて店に到着し、襟が大きく開いたサテンのドレスを着てトレードマークの黒い長手袋をはめて舞台で歌い、カーテンコールをうけるといった流れを追ってイヴェットの姿が描かれている。ロートレックは、細身の体をもつ彼女の独特な身振りやしぐさ、容貌の特徴を誇張しつつもすばやい線で描きとめている。