日仏150年の「美の往還」 [ 2020/10/21 ] エピローグ フジタ-日本とフランスの往還の果てに 日本人というアイデンティティに翻弄されながらも、フランス人として生涯を終えたレオナール・フジタ(藤田嗣治)。 フジタは1920年代のパリで、乳白色の地に面相筆による流麗な線描という、日本的な表現と感性を存分に生かして成功を収めます。しかし戦後は日本を追われ、1950年にパリに戻った後は、生涯母国の地を踏むことはありませんでした。 日仏両国の間で苦悩しつつ、双方の芸術の融合に挑んだ芸術家像をひもときます。 【上】レオナール・フジタ(藤田嗣治) 《姉妹》 1950年 ポーラ美術館 © Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2020 B0502/ 【下】レオナール・フジタ(藤田嗣治) 『海龍』(ジャン・コクトー著) 1955年刊 ポーラ美術館 © Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2020 B0502