第1章 ジャポニスム
-伝播する浮世絵イメージ
フランスと日本の「美の往還」の歯車が本格的に動き始めた19世紀後半。モネやゴッホは浮世絵をコレクションし、その斬新な構図や色使いを自作に取り込んでいきました。
19世紀後半から20世紀にかけて、
新しい美の基準や感性を模索する上で
互いに必要不可欠な存在だった
日本とフランス。
ポーラ美術館のコレクション約80点を軸に
国内外から約50点を借用し
2つの国、双方の「美の往還」を辿ります。
長らく所在が不明とされてきた《眠り》がパリから初来日し、120年ぶりに公開。愛弟子・黒田清輝の代表作《野辺》との邂逅を果たします。
ジャポニスムと関係の深いモネやゴッホ、
フランスで学んだ黒田清輝や岡田三郎助、
そしてセザンヌやルノワールと
彼らに心酔した安井曾太郎など、
19世紀後半から現代に至るまでの
「美の往還」を辿ります。
フランスと日本の「美の往還」の歯車が本格的に動き始めた19世紀後半。モネやゴッホは浮世絵をコレクションし、その斬新な構図や色使いを自作に取り込んでいきました。
フランスに留学した黒田清輝や岡田三郎助らの明るい色彩表現を特徴とする「外光派」が、新しい潮流を生み出しました。
特に黒田は、日本に裸体表現を根付かせようと苦心します。
大正時代の幕開けとともに、日本の近代美術は大きな変革期を迎え、ゴッホやセザンヌ、ルノワールらの作風だけでなく生き方にまで感化される芸術家が続出しました。日本人による西洋美術の本格的な収集も始まります。
シュルレアリスム作品や、激しい色彩表現と大胆な筆致を特徴とするフォーヴィスムのスタイルをいち早く吸収し、独自の解釈を加えて創作に励む日本人が現れ始めました。
日本人というアイデンティティに翻弄されながらも、フランス人として生涯を終えたレオナール・フジタ(藤田嗣治)。日仏両国の間で苦悩しつつ、双方の芸術の融合に挑んだ芸術家像をひもときます。
ポーラ美術館公式SNS
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【ヘッダー】左上:黒田清輝 《野辺》(部分) 1907年(明治40) ポーラ美術館/左下:ラファエル・コラン 《眠り》(部分) 1892年 芸術家財団、パリ © Fondation des Artistes / Raphaële Kriegel/右上:森村泰昌 《肖像(ゴッホ)》 1985年(昭和60) 高松市美術館/右下:フィンセント・ファン・ゴッホ 《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋》 1888年 ポーラ美術館
【展覧会について】左:山口晃 《新東都名所「芝の大塔」》 2014年(平成26) ミヅマアートギャラリー ©YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery/右:モーリス・ユトリロ 《シャップ通り》 1910年頃 ポーラ美術館
【HIGHLIGHT】左上:ラファエル・コラン 《眠り》 1892年 芸術家財団、パリ © Fondation des Artistes / Raphaële Kriegel/左下:黒田清輝 《野辺》 1907年(明治40) ポーラ美術館/中央下:森村泰昌 《肖像(ゴッホ)》 1985年(昭和60) 高松市美術館/右下:荒木悠 《戯訳「江戸」》 2019年(平成31) 作家蔵 Courtesy of the artist and MUJIN-TO Production; Produced by Shiseido Co., Ltd.
【第1章】左:山口晃 《新東都名所「芝の大塔」》 2014年(平成26) ミヅマアートギャラリー © YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery/右:クロード・モネ 《ヴァランジュヴィルの風景》 1882年 ポーラ美術館/【第2章】左:五姓田義松 《西洋婦人像》 1881年(明治14) 東京藝術大学/右:岡田三郎助 《あやめの衣》 1927年(昭和2) ポーラ美術館/【第3章】左:ポール・セザンヌ 《砂糖壺、梨とテーブルクロス》 1893-1894年 ポーラ美術館/右:安井曾太郎 《ターブルの上》 1912年(大正元) 福島県立美術館[展示期間:2020年12月中旬~]/【第4章】左:古賀春江 《白い貝殻》 1932年(昭和7) ポーラ美術館/右:モーリス・ユトリロ 《シャップ通り》 1910年頃 ポーラ美術館/【エピローグ】左:レオナール・フジタ(藤田嗣治) 《姉妹》 1950年 ポーラ美術館/右:レオナール・フジタ(藤田嗣治) 『海龍』(ジャン・コクトー著) 1955年刊 ポーラ美術館 © Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2020 B0502