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【Spotify】ニコ・ミューリーが「モネー光のなかに」展に合わせて、プレイリストを作成

現代音楽において今最も注目を集める若手作曲家の一人、ニコ・ミューリーによる選曲。ポップ・ミュージックとクラシックの間を自在に行き来する、本展覧会のためのプレイリストをお楽しみください。

プレイリストはこちらから:https://open.spotify.com/playlist/1VxcAihdQi6LSXf5M1GcGQ

イントロダクション

モネは美術と音楽とが魔法のように存在した時代に生き、活躍しました。この時期の楽曲を二つ並べてみると、二つが同じ年に作られたなんて嘘のようですし、知識の浅いリスナーを騙すために仕組まれたテストのようにさえ感じられます。私はここで、この展覧会で展示される11枚の絵画に対してそれぞれに、同じ年に生まれた音楽作品を組み合わせてみました。さらに、モネの絵画と音楽との抽象的な組み合わせもご紹介します。年代に囚われることなく、絵画そのものと呼応し、調和するような音楽を選曲しました。 まずは私が選んだ5つの楽曲からこのプレイリストを始めたいと思います。私にとってこの5曲は、モネの技術的な輝かしさと共鳴するものです。

I. A Set of five reactions | 5つの応答

フランス人アーティストのカミーユによる「Pour que l’amour me quitte」【1】は、「シ」の音が全体に鳴り続けるというアイディアで作られたアルバム中の一曲。視野の内と外に、いつでも焦点があるような効果をもたらします。

ビョークの「Desired Constellation」【2】 はシンプルな和音による音風景の作品で、内側から動き出すような音楽です。ピアノや弦楽器でコードを鳴らすのではなく、ざわめくような、動的な、そして鮮明な響きが聞こえてきます。この曲には、ビョークの声を除いて実体のあるものは存在せず、深層にある形式的な構造を保ちながら、抽象を感じさせるのです。

シガー・ロスの「Heysátan」(積みわら)【3】もモネのプレイリストなら加えるべきでしょう。また私自身の作品「Drones and Violine」【4】は、ヴァイオリンのシンプルなフレーズが、絶え間なく響く持続低音の上で奏でられます。輪郭の曖昧な音楽です。

ジョン・アダムスの「Common Tones in Simple Time」【5】は、焦点と視野についての音楽。霧のかかった都市の上空を飛行するかのように、視界の内と外とを動き回ります。

「Finishing the Hat」【6】は、スティーヴン・ソンドハイムの作品に基づいた、スティーヴ・ライヒによる2台ピアノのためのアレンジ作品です。モネがまったく賛同を示さなかった同時代の画家にジョルジュ・スーラがいます。モネはスーラが描いた対象をしばしば取り上げ、変化のないものとしてではなく活力のあるものとして、静的ではなく動的なものとして描き直しました。ソンドハイムの作品に対するライヒのヴァリエーションは、そのライバル関係に対してちょっぴり頷いているかのように思えます。

II. Abstract Pairings | 抽象的なペアリング

《ルーアン大聖堂》には、私自身の作品『螺旋のミサ』より「アニュス・デイ」【7】を。16世紀を振り返るような音楽ですが、オルガンの輝しい音色や、3人のソリストの周辺を浮遊し解決音に至らない合唱とが、滲み合うように響きます。

《睡蓮の池》には、1929年に作曲された宮城道雄の「春の海」【8】を。ここには、作曲家の心に立ち現れたフランスの姿があります。まさにモネの心に現れた日本のように。

《セーヌ河の日没、冬》には、ストラヴィンスキーの『夜鳴きうぐいす』(1914)から「Ah, Coucher du Sloleil」(日没)【9】を。このオペラの中には3人の日本人の使者が現れて、中国の皇帝に機械仕掛けの夜鳴きうぐいすを献呈します。ストラヴィンスキーがフランスの音楽や美術に抱いた関心と同様に、彼の東アジアの音楽に対する興味は、20世紀初頭の作品の中にはっきりと表れています。

《ジヴェルニーの冬》は白の習作。私の作品『コントロール』のなかの「山」【10】は、ユタ州の青白くどこか謎めいた雪山に寄せたものです。地平線のはるか彼方の影が、何かを暗示しているように見えました。

《ジヴェルニーの積みわら》には、干し草の山について歌ったシュガー・ロスの楽曲「Heysátan」【11】を。アイスランドの田舎の屋外で録音されたもので、先に紹介したスタジオ・レコーディングと同じ曲のライヴ・バージョンです。

2枚の《グラジオラス》には、ストラヴィンスキーの『3つの日本の抒情詩』より「Akahito」【12】を。「わが背子に 見せむと思ひし 梅の花 それとも見えず 雪の降れれば」(山部赤人)に基づく詩 “Descendons au jardin je voulais te montrer les fleurs blanches”を歌詞としています。日本の絵画について、ストラヴィンスキーは次のように述べています。「彼らの美術に示されている遠近感と空間の問題に対する視覚的な解決法は、音楽における同様の問題の答えを私に見つけさせた。」

《ヴァランジュヴィルの風景》には、ドビュッシーの『映像』第2集から「金色の魚」【13】を。ドビュッシーの音楽の多くに、東南アジアの音楽というレンズを通じて明らかになる特徴がありますが、この作品にはドビュッシーが所蔵していた日本の蒔絵からの明らかな影響があります。

《エトルタの夕焼け》にはラヴェルの「ヴァイオリンとチェロのためのソナタ」から第1楽章【14】を。音型の線形性と循環性とに、ラヴェルの日本美術に対する関心が表れています。

ロンドンで描かれた《国会議事堂、バラ色のシンフォニー》には、パーセルによる「テ・デウム」【15】のどんよりとした償いの調べを。モネはこの曲を耳にして、朝のウェストミンスター寺院を見上げたことでしょう。また、夕べには「ヌンク・ディミティス」【16】の美しい小さな聖歌が聞こえていたことでしょう。

ヴェネツィアの作品《サルーテ運河》には、19世紀から20世紀へと移り変わる時代にサン・マルコ寺院で聖歌隊指揮者を務めていたペロージの教会音楽「レクイエム」の一部【17】を。モネが旅先でバシリカ式の聖堂に立ち寄り、しばしこの音楽に耳を傾けて佇み、そしてまた歩き始めたのではないかと想像します。

III. Dates|同年代の作品

1880年 《セーヌ川の日没、冬》
カミーユ・サン=サーンスによる七重奏曲の第三楽章【18】は、その構造と和声においては前近代的ですが、より現代的な感覚で捉えると影と暗示をもった作品です。

1881年 《グラジオラス》
フォーレが教え子のアンドレ・メサジェと作曲した『ヴレヴィユの漁師たちのミサ』の中の「O Salutaris」【19】は、オルガンとヴァイオリンとが、合唱と重なり合い声を模倣することで、ゆったりとした広がりのあるメロディーに輝かしい響きを与えています。教師と生徒との共作によるこのミサ曲は、どこか不思議なほど胸を打つ作品で、漁師たちのための慈善事業組織のためにチャリティーで書かれたものです。

1882年 《ヴァランジュヴィルの風景》
リストの極めて現代的な作品である「悲しみのゴンドラ」第2稿をオーケストラ編曲したジョン・アダムズの「黒いゴンドラ」【20】。伝統的なヴェネツィアのゴンドラ漕ぎの歌が持つ心地よい弱拍の揺らぎが、この作品ではどこか現実離れした深い闇へといざないます。

1884年 《ジヴェルニーの積みわら》
ブルックナーの『テ・デウム』第2曲「御身に願いまつります」【21】は神秘的で、19世紀からの脱皮を感じさせる音楽です。不安定感が支配的な力を持つ作品であり、期待される解決は不可思議なユニゾンへと回収され、音型は上行するかと思えば下行あるいは横這いとなるのです。
 一方、同年に作曲されたブラームスの交響曲第4番の第2楽章【22】は、主要主題の不可思議な循環が、伝統的な形式と相まって特有の効果を示しています。主要主題は、冒頭で伴奏音型を伴わずに提示されますが、曲の終わりでは非常に厚みのある響きで登場します。

1885年 《ジヴェルニーの冬》《エトルタの夕焼け》
リストの「無調のバガテル」【23】は、どこに焦点を合わせて聞けばよいかがわからないような、風変わりな小品です。この曲の聴取は、一羽の鳥が飛んでいるのを見つめているような体験です。どこに飛んでいくのかは定かではないし気まぐれ。急に止まったかと思うと、視野から消えてしまいます。

1892年 《ルーアン大聖堂》
ブルックナーの「王の旗は翻る」【24】は、安定と変化の音楽。それぞれのフレーズそのものは単純明快ですが、ユニゾンから流麗な対位法的書法へと移り変わります。しかし全体としては、帰結点を絶えず求めているかのような感覚を与える作品です。

1899-1900年 《睡蓮の池》《国会議事堂、バラ色のシンフォニー》
二つのまったく異なる楽曲をあげましょう。一つはラヴェルの有名な「亡き王女のためのパヴァーヌ」【25】、そして一つはシェーンベルクの「浄められた夜」【26】です。ラヴェルの作品ではいつも言えることですが、この曲にもどこかゼンマイ仕掛けの機械のような安定した動きがあり、その上に心地よく豊かなメロディーが提示されます。「浄められた夜」は、音楽史の過渡期における偉大な作品の一つで、ワーグナーのような線的な動きと和声の繊細さとが絡みもつれ合いながら華美で濃密な構造を形成し、20世紀を迎え入れる音楽です。
一方で、エルガーのオラトリオ「ゲロンティアスの夢」【27】は、驚くべき方法で20世紀の幕を開けた作品です。親密な響きを求めるがゆえに、独唱と合唱とオーケストラを要した巨大な宗教曲です。

1908年 《サルーテ運河》
このプレイリストの中でもっとも対照的な2作品がこの年に作曲されています。一つはラヴェルの『夜のガスパール』から「オンディーヌ」【28】です。「亡き王女のためのパヴァーヌ」で聴かれるように、ラヴェルは機械的性質と叙情的性質とを作品の中で共存させることに関心を持っていました。しかしこの曲においては、和声言語はより流動的で、安定性を持たず、曖昧さを漂わせています。アイヴズの「答えのない質問」【29】は聴くたびにショックを与えてくれる作品です。そしてこれが1908年に書かれた作品であることにも衝撃を覚えます。弦楽器は非常にゆっくりと賛美歌のような響きを進行させ、独自の神聖なる空間の中にあります。それに拮抗して、独奏トランペットが謎めいた旋律を奏で、木管楽器群が不可思議な応答をします。弦楽器の賛美歌の存在を滲ませ、さえぎり、密かに敵意を示すかのようです。このような音楽作品はほかに例がなく、もしこれが「一昨日書かれたばかりの作品です」と言われれば、私は信じてしまうでしょう。