展覧会
12/1
2013
4/6
2014

ポーラ美術館の絵画 日本画、日本の洋画を中心に

2013.12.01 — 2014.04.06

日本画―新たな表現の模索―

岩絵具を膠(ルビ:にかわ)で溶いて描く「日本画」は、明治のはじめに西洋の「美術」概念が流入するなかで、油絵具で描く「洋画」に対して生まれた言葉です。近現代の日本画は、洋画の動向と向き合い、また日本画独自の可能性を模索して、絶えず新しい表現を切りひらいてきました。

 

たとえば、前田青邨は伝統的な主題である歴史画において「新古典主義」を確立し、一方で髙山辰雄は歴史画や風俗画といった伝統的な主題や従来の表現からの脱却をめざしました。また、徳岡神泉や福田平八郎は形態の単純化と独自の色彩により抽象的な表現を展開し、東山魁夷は日本画家としてはじめて海外への本格的な取材を行ない、ヨーロッパの風景を描きました。

 

日本の洋画―明治・大正の展開―

明治のはじめ、政府が新たに創設した工部美術学校でイタリアの画家アントニオ・フォンタネージに学んだ小山正太郎と浅井忠は、やわらかな色調と安定した構図による写実的な風景画を描き、日本近代洋画の礎を築きました。

 

その後、フランス留学から帰国した黒田清輝をはじめ、藤島武二、岡田三郎助、和田英作らが美術団体「白馬会」を結成し、従来の洋画とは対照的な明るく自由な作風で人々に大きな驚きを与えました。彼らは洋画の地位向上に貢献するとともに、東京美術学校で後進の育成に努めます。

 

大正期には開放的な時代の風潮を背景に、岸田劉生や萬鐵五郎らが文芸雑誌『白樺』で紹介された西洋絵画に影響を受けながら、個性や感覚を重んじた作品を制作しました。

 

ポーラ美術館のレオナール・フジタ コレクション

レオナール・フジタ(藤田嗣治、1886-1968)は、1920年代初頭に確立した「乳白色の下地」(grand fond blanc)と呼ばれる独自の技法を用いて裸婦や自画像を描き、パリで人気を博した画家です。フジタはその後、第二次世界大戦中には戦争記録画を制作し、戦後は再び渡仏して子どもやキリスト教を主題とした作品を数多く描きました。

 

ポーラ美術館は、戦後の、特にフジタの空想上の子どもを描いた作品を中心に、日本最大級のフジタ・コレクションを有しています。ここではその中から、フランスの日常的な生活に目を向けた 《姉妹》、子どもたちの大人びた表情が印象的な 《誕生日》、フジタのアトリエの壁を飾った連作〈小さな職人たち〉の一部をご紹介いたします。

岡田三郎助 《あやめの衣》 1927年(昭和2)

岡田三郎助 《あやめの衣》 1927年(昭和2)