12月2日(月)~13日(金)まで臨時休館いたします
ドガやルノワールのモデルをつとめ、後に画家として活躍したシュザンヌ・ヴァラドンの私生児として、ユトリロはモンマルトルに生まれた。幼い頃より異常な飲酒癖を示し、20歳の頃、アルコール依存症から脱するために、母シュザンヌは息子に絵筆を与える。生まれ育ったモンマルトルを中心に、ユトリロは繰り返し哀愁を帯びたパリの街角の風景を描いた。 シャップ通りとは、サン=ピエール教会と、サクレ=クール寺院へ続く坂道である。円形ドームを載せたサクレ=クール寺院は、普仏戦争での敗北を契機に計画され、本作品と同年代の1910年にようやく完成し、以後モンマルトルの象徴として親しまれている。このシャップ通りを行く人々は、漆喰が幾層にも塗りこめられた白い建物の壁や、レンガが剥き出しになった側壁、乾いた街に逞しく枝を伸ばす木々のあいだを抜け、礼拝のためにモンマルトルの丘を登っていくのである。 ゆるやかな坂道を中心に、街路が広がる奥行きのある構図は、ユトリロの得意としたものだが、本作品ではその構図が見事な調和をみせている。前景は三分割され、左右に建物のファサードが切り立ち、シャップ通りは途中で階段になり、さらにサクレ=クール寺院のたたずむ鉛色の空へと繋がっている。 ユトリロは独りアトリエに閉じこもり、パリの街並を撮影した絵はがきをもとに、同じ構図の作品を何枚も制作したといわれている。1930年代以降に、シャップ通りとサクレ=クール寺院を描いた同じ構図の作品が6点確認されている。この《シャップ通り》は、それらの作品に先立ち、ユトリロ最良の時代といわれる「白の時代」(1909-1912年頃)に制作された、堂々とした構図と細部の描写が巧みな作品である。