12月2日(月)~13日(金)まで臨時休館いたします
前衛的な作品を志向して独立美術協会の創設に加わった三岸は、1932年(昭和7)に東京府美術館で開催された巴里・東京新興美術展においてピカソやマックス・エルンストらヨーロッパの同時代美術に接し、特にシュルレアリスムに強く影響されて作風を一変させた。三岸は1934年(昭和9)7月1日に31歳でこの世を去るが、その最後の一年間に蝶と貝殻をモティーフにした幻想的な作品を多く制作している。 三岸の妻節子の回想によると、晩年に繰り返し描かれた蝶を主題とした作品は、本作品をきっかけに始められたという。背景と同系色で溶け込むように描かれた裸の人物の手前に、人体に比するとかなり大型の二匹の蝶(蛾)が羽ばたいている。現実ではあり得ない、想像にもとづくこうした場面を作り出すために、三岸は現実では出合うことのない異質なものを接合し、新たな意味を生み出そうとするシュルレアリスム的手法を取り入れている。 この後、歿するまで蝶を主題にした制作を続け、並行して行った詩作との関わりは、手彩色で発行された素描集『蝶と貝殻』(1934年)にまとめられた。蝶を主題とした作品は同時代の古賀春江らにも見られるが、フランスに渡りたいと願いながらも叶わなかった三岸の理想が、風に乗って日本海を横断するという蝶の生態に重ねられ、彼特有のロマンティシズムとともに表されているといえるだろう。