コレクションハイライト

クロード・モネ (1840-1926)

クロード・モネ 《睡蓮の池》

1899年 油彩/カンヴァス 88.6 x 91.9 cm

展示中

モネは、1883年からパリの北西70kmの美しい村ジヴェルニーに移住し、ここに家を建て、庭を造成します。家の前には色とりどりの花が咲き乱れる「花の庭」を造り、1893年には家の敷地の道路を隔てた隣の土地を買い、「水の庭」を造りました。

「水の庭」には、池を作り睡蓮を植え、池の上にはモネは好きだった日本の浮世絵に描かれたような日本風の太鼓橋が架けました。そして池の周りには柳、竹、桜、藤、アイリス、牡丹などさまざまな植物が植えられました。

この自分がつくり上げた幻想的な庭で、モネは睡蓮の池と橋の風景を描いていますが、この作品は18点の連作のうちの1点です。この後、しだいに彼の興味は時間や天候による光の変化が、池の水面におよぼすさまざまな効果に向かっていきます。なお、モネの家と庭は、息子ミシェルが亡くなった1966年に国家に遺贈され、現在公開されています。


プロフィール

モネは1840年にパリで生まれ、生後まもなくセーヌ河口の港町、ル・アーヴルに移り住みました。ここで海景画家ウジェーヌ・ブーダンに出会い、当時まだ珍しかった戸外制作の魅力に目覚めたモネは、19歳でパリに出て、画家への道を歩み始めます。

当時の美術界は保守的で、ほぼ唯一の作品発表の場であるサロン(官展)では、アトリエで丁寧に仕上げた写実的な歴史画や神話画などが、模範的な芸術とされていました。こうした現状に不満を抱いたモネは、ルノワール、シスレー、ピサロなど、志を同じくする画家たちとグループをつくります。

そのころのパリは、鉄道が普及し万国博覧会が開催されるなど、文字通りの国際都市でした。こうした環境でパリの市民たちは、郊外でレジャーを楽しみ、近代生活を謳歌したのです。モネたちは陽光と色彩を求めて戸外に赴き、身近な自然や人間の生活を描きました。混色を避け、明るい色を小さな筆致で並置する手法は、筆触分割と呼ばれるようになります。1874年に開いた初めてのグループ展はスキャンダルとなり、モネの出品作≪印象、日の出≫を皮肉った批評家の言葉から“印象派”という呼び名が生まれました。しかし今日、モネを中心とする印象主義は、近代美術史上もっとも革命的な絵画運動として評価されています。

1890年代に、モネは「積みわら」や「ルーアン大聖堂」など、同じ対象を1日の様々な光や天候の中で描き分ける連作を手掛け、画家としての名声を手にします。50歳代にはジヴェルニーに日本風の橋の架かる庭園をつくり、86歳で亡くなるまでその庭を描きました。特に睡蓮の池は重要なテーマとなり、約200点もの作品を残しています。

ポーラ美術館の収蔵するクロード・モネのコレクション

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