1 数年前、ある医院の待合室で、子どもたちがそれを怖がるのだという母親の声が聞こえてきた。その中が見えなければ、子どもたちがそこに入ることはないだろう。ばらばらにされたような気分だ。この黒い流体、養分なきミルクのようなものの中へと歩みをすすめ、あなたの姿は消えてゆく。
2 消えてしまうこと。これが自殺者がそれに惹かれる理由であり、子どもたちがそれを怖がる理由でもある(前述の脚注を参照)。ただここから居なくなることへのやわらかい入り口。わたしがその川を想像するとき、それはわたしが入れるもの、わたしを包み込むもの、ここからわたしを連れ去るものだ。しかしまた、その痛みは想像しがたい。暴力や化学よりも。
3 時々、わたしがその川を見ていると、少しだけその中が見えることがある。かなり浅い、せいぜい数インチのところだけど、その水がその川の容積とほぼ同じ量の水ではない何かで満たされているように感じる。おそらくはもうひとつの水。
4 水について考えることは、その未来について考えること、あるいはただ未来を。わたしの未来、あなたの未来。それは個人的なこと、特に今は。中が見えない水を子どもたちが怖れるのは当然のことだ(脚注1を参照)。だとすれば、未来を想像できないものが、未来に惹かれるなんて理解することができるだろうか。この水のようなものや、別の水に惹かれるなんて。
5 夜。その水の暗さは空の暗さを映し出す。しかし、やがて夜が明けても、その水は暗いまま、その内にあるすべてのものをその外にあるすべてのものから切り離す。
6 その水は不透明だ。一度その中に入れば、あなたの姿はもはや見えず、あなたも何も見えなくなるということを想像して心が落ち着く。純然たる視覚の絶え間ざる要求からの解放。
7 その水の色は変化しつづける。その半分は空だ。
8 その水の色は変化しつづける。その半分はカーキ色だ。すべての色彩がその中にあり、いずれも目には見えず、全体は漠然としている。どのみち一度潜ってしまえば、何も見えなくなるだろう。その水の色はわたしにふさわしい、ベージュ。それはわたしにふさわしい、それは色ではなく、その意味では白に似ている、だが区別はない。ベージュは凡庸のひとつ。白は卓越。もしかしたら迷宮のようなもの、命がけのものになる。
9 時にあなたは透明という意味を表すために、白という言葉を使うことがある。白い水は良好で、生き生きとしているように見える。だから、あなたは白い水を持っているのかもしれない。でも、ここにはそれがほとんどない。いずれにせよ、本当に重要なことは、一度その中に入ると、その流れがいかなるものであれ、誰もあなたの姿を見ることができないということだ。その中に入り、沈んでしまうと、誰もあなたの姿を見ることはできない。毛布の場合とは訳が違って、誰もあなたがその下にいるなんてわからない。あなたはあまりにも小さくて、水位は変わるけど、それは瑣末な変化にすぎない。あなたの形も見えず、あなたの動きも見えない。たとえ静かだとしても、誰もあなたを見ることはできない。あなたは誰からも見えていないことを自覚しなければならない。そして、静まりかえっていないのであれば、あなたはすぐに見えなくなってしまうだろう。
10 白い水、それは気晴らしになる。
11 少し前の新聞に、ある夜、酔っぱらいがその川に落ちて、数日後に亡くなったという記事が載っていた。なにやらネズミが関係しているそうだ。だけど、このような話を聞くと、わたしは水そのものの毒性について考えてしまう。この結果を水の外観から連想するのは想像力の問題ではない。この水の中に本当に病気のネズミがいるのかもしれない。けれども、わたしは水そのものが病気に罹っているのではないかと考えている。12
12 チャールズ・ディケンズの小説『互いの友』(1865年)の第1章「見張り」を参照。13
13 135年前に比べたら病気は弱くなったかもしれないが、落ちたら恐ろしいことには変わりないのだ。
14 不可視性の中を、一個人の永遠の中を流れていく。瞬間に限りなく近い不可視性。その身体から力が抜けるまで目に見えることはない。そして、どこかに流れ着き、再び姿を現す、非人称的な存在として。
15 その川は静かで心地よく、絶え間ない。その色は好奇心をそそる。そして、それは表面を覆うだろう。あなたには覆いが必要だ。
16 今日未明、真夜中過ぎにハンガーフォード橋の欄干から飛び降りる人影が目撃された。小舟に乗っていた目撃者は近くで「ぼちゃん」という音を聞いたが、何も目にしていなかった。
17 あなたがそれを川と言う。わたしはそれを信じる。でもあなたがそれを水と言うなら、わたしはそれを疑う。
18 テムズ川は誤認されたアイデンティティの一事例なのか?
19 このようなイメージを見ていても、あなたが水の概念にたどり着くことはないだろう。
20 このようなイメージを見て、あなたが水の概念にたどり着くことがあるのなら、水の正体に驚かざるをえないだろう。
21 この水は透明でも純粋でもなく、無臭でも無色でもない。22 たしかなことはわからないけれど、何の味もしないと賭けていい。この水はあまり輝かない。わたしはその粘性についてしばしば考察してきた。川沿いを歩いたり、橋の上から眺めたりしながら、「こことか、こことかの水は少し濃い気がする」などと考えてきた。
22 アメリカン・ヘリテージ英英辞典の水の定義を参照。
23 その川を見て、その水に粘り気があると考えたことはある?
24 水が水らしく見えることなんて滅多にないと気がついているのか?
25 水はどのように見えるのか?
26 この色に曖昧なところはない。問題はそれが水であると信じることにある。あなたはこの写真の露出が間違っていて、そのために暗くなり過ぎているのだと思うかもしれない。でも、水面に浮かんでいる葉っぱはどうだろうか。そこまで暗くなっていない。あなたはその葉っぱが、枯れ葉さえもが、この光景に牧歌的な雰囲気を付け加えていると思うかもしれない。だがそれはむしろ、その水の黒さを裏付けているにすぎない。
27 その川には目に見えないほどの速さでゼラチン状になる瞬間があるのはたしかである。
28 水はあなたを受け入れ、あなたを肯定し、あなたが誰であるのかを明らかにする。そして、水であるというほとんど知覚できない性質のすべてがあなたを翻弄する。その曖昧さを以て。
29 先週、その川で中年の男が見つかった。3000ポンドの札束が彼の葬儀の指示書とともに腹部にテープで留められていた。
30 テムズ川は都市を流れる川の中で最も自殺率が高い。もしかしたら1番ではないかもしれないがほとんど近いものだろう。たとえそうでなくてもそれほど問題ない。どうせそう見えるのだから。
31 それは自殺を試みるような川ではない。それはあまりにも当てにならない。いったんそこに入れば、死ぬ可能性がある。だからこそ魅力的なのだ。死ぬ可能性とそれが不透明だという事実。そして、中に入ることがとても簡単だという事実。それは現実的で、おそらく効率的でさえある選択だが、それも単なる憶測にすぎない。
32 闇に紛れて。それは夜のみで、やがて流れ去る。しかし、その水の黒さは消えないだろう。その黒さやその水は流れ去っても、決して消え去ることはない。
33 黒は場所だ。それがどのようなものかもわからないし、見ることもできないけれど、そこにあることはわかる。そこに行くことはできるが、どこにあるのかは決まっていない。黒は傷むことがなく、不活性で腐敗することもない。金のように。そして、それがどこであろうとも常に変わることがない。あなたはそれについてそれほど知らないし、その正体が明らかになることもない(それが黒の概念)。ただそこに行くしかない。黒はあなたの信仰を宙吊りにできる場所だ。
34 黒い水は黒いミルク。
1 水はセクシーか?
2 水はセクシーだ
3 水はセクシーだ。その純粋性、透明性、受動性、その攻撃性。
4 水はセクシーだ。近づくとその官能性がわたしを翻弄する。
5 水はセクシーだ。(触れたい、抱きしめたい、飲みたい、中に入りたい、包み込まれたい。)
6 水はセクシーだ。(そばにいたい、中にいたい、通り抜けたい、その下にいたい、わたしの中にそれが入ってきてほしい。)
7 水はセクシーか?
8 黒い水はセクシーではない。
9 黒い水はセクシーではない。(ただ触れたくない。その感触を想像することすらできない。その中に入る可能性なんて考えもしない。)
10 黒い水はセクシーではない。(時にその外見でさえもわたしを不安にする。)
11 黒い水はセクシーではない。(時に自分が何を見ているのかさえわからないこともある。)
12 黒い水はセクシーではない。(しかし、その毒性のある外見に典型的な美しさを思い浮かべない?)
13 黒い水はセクシーではない。(しかし、毒性のあるものに魅力を感じるのはよくあることではないだろうか?)
14 黒い水は水の概念にすぎない。
15 あなたは水の概念を守りつづける。それはあなたが育った環境の水で、透明で性的な水。ともかくこれはあなたの個人的なアイデンティティの一部であり、たとえ見知らぬ人であれ、あらゆる人々と共有するもの。アプリオリな交わり。
16 その川を見て、その水をみだらだと考えたことはある?
17 テムズ川は乾いている。(時にそれは見てわかることさえある。)
18 黒い水は不透明な水だ、毒があろうがなかろうが。黒い水は常に暴力的だ。ゆっくりと動くときでさえも。黒い水は支配し、魔法をかけ、服従させる。黒い水は魅力的だ、その不穏と不調和ゆえに。黒い水は暴力的だ、その魅惑ゆえに。そして、それが水であるために。
19 黒と水は対の要素だ。黒が形容詞にすぎないと考えるのは間違っている。
20 テムズ川は黒い水だ。
21 黒い水は水とは正反対にあるものだ。黒い水は結合していない。
22 醜く捉えどころのない色彩に紛れて、黒は変わらない。これらの役立たずでどうしようもない色彩が黒い場所の周辺に集まる。
23 水面のあちこちに浮かぶ油分が玉虫色の凝塊を形成する。(たとえ凝塊という言葉がなかったとしても、ここでは意味がわかるだろう。)
24 何故R氏は発作的に人を殺したか?25
25 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの映画『何故R氏は発作的に人を殺したか?』(1969年)を参照。
26 静かな場所で、時にその水は臆病であり華奢である。あなたを魅惑するより簡単な入り口。(黒の暴力はここでは見えない。)
27 この液体の黒さにきらめく光に魅せられて、あなたは光の中へと歩を進め、ほんの束の間それらとともに流れ、沈んでいく。水中から見上げたら、それらは暗闇に輝く星座のように見えるかもしれない。慣れ親しんだ星座とは異なる星座。これまでに見たことのなかった異なる場所の星座。
28 日中、太陽は水面を勢いよく流れる水銀の斑点に集まり、それ以外には集まらない。夜になると、乱れた水が月の群衆を作り出す。(動く銀色の斑点にわたしは癒される。)
29 水が光をカモフラージュすることに気づいたことはある?
30 最近、パリの若い女性がロンドンにやってきて、その川で溺死した。なぜテムズ川が遠くからの人々を惹きつけるのかは興味深い。このような川は他に聞いたことがない。(普通は地元の人だけだ。)いや、わざわざカナダからやってきてハドソン川で自殺する人なんていない。オハイオ州からでさえも。
31 最近、その川で若い男が溺死したという話を聞いた。彼は耳が聞こえず、口も利けなかった。両親が考案した手話を使っていた。(家族だけがそれを理解した。)
32 光が水をカモフラージュすることに気づいたことはある?
33 黒い水(この水)は決してやさしくない。黒い水(この水)は冷たく、たいていは冷ややかで、時にひんやりしているが決してなまぬるくはない。黒い水(この水)はかたく、やわらかくない。けばけば、ざらざらしている。ちくちくするかもしれないけど、つるつるしている。それはしばしば乱れていて、穏やかではない。少なくともただ穏やかなことはない。新鮮かもしれないけど、あなたは知る由もないし、決して信じることもない。しきりに動揺している。いつでも騒然としている。黒い水(この水)は決してのどかでもなく、輝いても、澄みきってもいない。止まっているときですら落ち着きがない。深く、どこにあるのかとてもわからない。この水でさえ濡れてはいるがほとんど乾いた状態にある。
34 黒い水は黒いミルクだ。
35 ミルクは黒いときもミルクなのか?
36 水の透明感はミルクの白さのようなものなのか?
37 月光か水銀か?
38 それはとてもありふれていて、壮観だ。陽の光がその川を照らし、光の粒がきらきらと水面を揺れ動く時間。それは星のように驚きを与え、魅了する。わたしはそれを取り巻く暗闇、未知の宇宙、そして、もう少しで手の届きそうなところを想像してみる。
39 水は常に神聖な存在だ。(水と一緒にいると、わたしの中に自分を超越した存在を感じる。)
40 水は常に神秘的な存在だ。(水を見ているとき、あなたは自分が実際に何を見ているのか知らない。)
41 あなたが水と言うとき、それは何を意味しているの?
42 そして、もうひとつの水についての漠然とした詩的観察はどうだろうか? それを詩にする可能性。それは人間の条件の一部だろうか? 畏怖を抱くもの、生命を脅かすもの、潜伏性があり危機の中で延々と続いているものを改善するために。だからといって、あなたがそれを完全に見ることができなくなることがないように。
43 時にわたしはその水を見つめて、おそらくはなんらかの重金属か油分が表面に固まっているだけと知っているにもかかわらず、水面がきらめいているのだとすぐに間違えてしまう。
44 水は常に親密な体験だ。たとえ雨や海や川であっても。
45 水は常に親密な体験だ。あなたはそこから自分自身を切り離すことはできない。
1 ほんの少しの間だけ、あなたはこの黒の中に入ることができる。(どのくらい続くと思う?)
2 欄干に立ち、その水を見下ろす。渦を見下ろし、あなたもどこかに行ってしまう。飛び込む必要さえない。螺旋は水面下深くへと収束し、あなたが行きたい場所に連れていく。ただ見ていて。
3 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。ここでその水はまわる。ここでその水はその流れの力でいくつもの渦を巻く。(わたしはこの締め付けるように回転する円から逃れられない。)わたし自身がねじれるのを感じたい。わたしは見たい、時間のねじれを感じたい、らせん状のものが形成されていくのを見ながら。時間がねじれ、わたしが回転するのを感じたい、それらが消えていくのを見ながら。回転する水とともにねじれたい。渦巻きが消えてなくなるのを見ながら。それらが水面から見えない深みへとまわりながら沈んでいくのを見たい。それらと一緒に見えなくなりたい。それらと一緒にまわってみたい、見えなくなって、まわりつづけたい。
4 ウォレス・スティーヴンズの詩集『ハーモニアム』(1923年)より「黒の支配」を参照。
5 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(同じ点)に。ここでその水はまわる。ここでその水はその流れの力でいくつもの渦を巻く。わたし自身がねじれるのを感じたい。渦巻きがうねり、泡立ち、広がっていくのを見たい。平らになった水のまわりに泡立つ波紋が生まれるのを見たい。隆起し、平静する水に静寂が訪れるのを見たい。そして、その静寂の表面で、乾いたように見える水がその深みへと、このような水温と粘度と流出量の水が複雑な質感のまま流れ込むのを見たい。
6 わたしの視線がその水に止まる、11 その川のどこか(この点)に。わたしの視線はさまよいはせず、時間が止まったように感じる。そして、その川がわたしの視界を流れていく。
7 わたしの視線がその水に止まる、11 その川のどこか(この点)に。わたしは時間が止まったように感じる。ためらいの瞬間ではない。わたしは飛び込みたくない。ただ見ていたいだけ。
8 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。わたしは時間が止まったように感じる。ためらいの瞬間ではない。わたしは飛び込みたくない。ただ見ていたいだけ。もっと遅く、もっと速く。その川が流れていく時間の中にいたい。その川の流れと自分自身を同調させたい。すべてが見たい。(わたしにとってその川の流れが速すぎるのはわかっている。)それでもわたしはそれを見ていたい。その不明瞭さの向こうを見たい。それが見えるまで見続けたい。見続けていたい。
9 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこかに、その川に正しい点(この点)を探しにいく。わたしはいつも正しい点を見つける。それはどこにでもある。
10 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。そして、わたしの視線が止まるとき、かつて見たことがないものを見ているかのような気持ちになる。どうして水はこんなにもよそよそしいのだろうか。
11 『時計じかけのオレンジ』を参照。12 特に、矯正されホームレス状態になったアレックスが自殺を考える場面。そのシーンでは、アレックスがその水を凝視しながら立ち尽くし、背景にはアルバート橋が映っている。あなたはその水を凝視するアレックスを見つめ、その視線は水面の渦に近づいていき、そこで蒼白となったアレックスの顔に切り替わる。そこには暴力が再び始まる前の時間が一時停止したような感覚がある。
12 スタンリー・キューブリックが監督し、マルコム・マクダウェルがアレックス役を演じた映画『時計じかけのオレンジ』(1971年)。
13 まだ見ぬ終わりなき螺旋がいつまでも生まれては消えていくのを想像せよ! さらに秘密の財宝を!
14 黒い水は不透明な水だ、毒があろうがなかろうが。黒い水は常に暴力的だ。ゆっくりと動くときでさえも。黒い水は支配し、魔法をかけ、服従させる。黒い水は魅力的だ、その不穏と不調和ゆえに。黒い水は暴力的だ、その魅惑ゆえに。そして、それが水であるために。
15 不透明な水はどんな色であれ、黒い。黒は二重に不透明だ。光がなく透明性もない。透明性の喪失はアイデンティティの喪失だ。今それは何なのか? もうひとつの水、つまり、結合していない水?
16 これは水か?
17 これは白い水か?(目を凝らす。)ルーペを使えば、それが実は色のついた点の集まりだということがわかるし、ルーペを使わなくても、それがくすんでいることはわかる。
18 数日前、その川で未亡人が発見された。雑誌が詰め込まれたリュックサックを背負ったままだった。
19 水が急速に(そして予測不可能に)動くとき、その水は闇を増していく。
20 黒い水は煽動し、動揺する。透明性の欠如は恐ろしく、暴力的でさえある。それはもはや水ではない。名前のない液体、もうひとつの水。その外観とその一部のみを水と共有しているが、未だアイデンティティなき液体。驚くべきことに、たとえば川のような水があると思われる場所で、あなたは水の代わりに水を模した色付きの液体を目にする。それは代理の水であり、硬直化した水だ。あなたは騙される。それは意図的で必要な愚かさ。それはただ水という信仰。たとえ水のすべてを諦めなければならなくても、水の概念だけは手放さない。あなたは水にしがみつく。まるで海に浮かぶいかだのように。あなたの愚かさは希望の表れだ。もうすぐ水はイメージにすぎなくなるだろう。
21 テムズ川は黒い水だ。22
22 濁っていて、ありのままだ。
23 落下を生き延びても、その寒さで心臓が止まるまで6 分しかかからない。(もちろん、そのずっと前に意識を失っているかもしれない。)
24 落下を生き延びても、川底の泥に嵌ってしまうかもしれない。川底からは抜け出せない。足が突き刺さり、泥の中へと深く引きずり込まれていく。まわりの泥がかき混ぜられて、水が濃くなっていく。あなたはどうにかして泥沼から身体を引き抜こうとするだろう。
25 テムズ川は泥沼だ。
26 落下を生き延びても、方向感覚を失うかもしれない。ダイバーの見解によれば、その水の中では何も見えない。一度潜ると、そこに光はない。だから外に出たいと思ってもどの方向に行けばいいのかがわからない。(あなたはわたしが黒について誇張したり、ただ詩的になっているだけにすぎないと思っただろうか?)
27 黒は完全だ。他のものが入り込む余地はなく、比類なき純粋さを備えている。黒はあらゆるものを排除する。あなたも含めて。そこにあなたが加わることも、何かを加えることも、影響を及ぼすこともできない。飛び込み、この黒さの中に入り、絶えず形を変えゆくものに包み込まれ、無視されることでしかあなたの存在が認められることはない。
28 黒は形容詞かもしれないが、元素状態でもある。
29 黒い水は自己矛盾であり、重複している。これはあらゆるものを排除するパラドックスだ。黒い水は水ではない。黒い水は水の正反対のものだ。たいていの期待は受け入れられるものの、わたしたちが固執するもの、しがみついているものは妥協を迫られる。少しずつわたしたちは萎縮し、希釈されていく。そして、わたしたちは許容し、もはや水ではない水を受け入れ、この名前のない物質を水として認める。
30 若い女が黄色のフォード・フィエスタを運転し、車ごとその川に落ちた。警察が車を引き揚げると、窓はすべて閉まっていて、ドアには鍵がかかっていた。警察は運転席にその女を見つけ、後部座席には彼女の愛犬(アイリッシュセッター)サミュエルの姿、彼女の手にそのリードが巻きついていた。
31 黒い水の暴力性とは、その無水性だ。
1 あなたは水は波立つか凪いでいるかだと言う。あなたは水は荒れ狂い静まることがないと言う。あなたは水はかき乱されていると言う。あなたは水は静まりかえっていると言う。水はのどかで時に澄んでいて、純粋かもしれないし、きらきらと輝いている。水は重い。それは事実だ。水はしばしば穏やかで、落ち着いてさえいる。水はじっとして動かず、奥深くもあるだろう。水は冷たかったり温かかったり、ひえびえとしていたりぬるかったりする。あなたは水はせかせか、きびきび、時にてきぱきしていると言う。あなたは水はやわらかく、かたいと言う。あなたは水はちくちくしているし、つるつるしていると言う。あなたは水は腐敗していると言う。あなたは水は新鮮だと言う。あなたは水は平穏で物憂げだと言う。あなたは水はやさしいと言う。
2 水はセクシーか?
3 水はセクシーだ。
4 水はセクシーだ。それは水のパワーであり傷つきやすさ、それは水のエネルギーであり壊れやすさ。
5 水はセクシーだ。それは水の冷淡さだ。
6 水はセクシーだ。(近づくとその官能性が、わたしをじらす。)
7 水はセクシーだ。(わたしは見たい。触れたい。喉の渇きを癒したい。わたしのすべての渇きを癒したい。わたしの身体を冷やしたい。わたしの身体を温めたい。わたしはそれを身体全体で、わたしのまわり全体で、わたしを超越したところで感じたい。)
8 水はセクシーだ。(わたしはその中を泳ぎたい。歌のように動きまわりたい。わたしはその中を泳ぎたい。押したり、蹴ったり、ばた足したり、すいすいと動いていきたい。わたしはその中を泳ぎたい。わたしはそれに抱かれたい。)
9 水はセクシーだ。(わたしはそこに浸りたい。液体が肌の上を滑っているのを感じたい。液体がわたしの体中を洗い、わたしのすべてを洗い尽くすのを感じたい。その流動性の塊がわたしの身体の各部を駆けめぐるのを感じたい。髪を、手を、足を、目を、耳を。わたしはそのそばにいたい。浸りたい。わたしの熱を冷していくのを感じたい。奥深くに入っていきたい。もっと深くに入っていきたい。その重みがわたしを軽くし、楽にし、解放してくれるのを感じたい。わたしはそれを欲する。)
10 水はセクシーか?
11 黒い水はセクシーではない。
12 黒い水はセクシーではない。(それは核心をついている。)
13 黒い水はセクシーではない。これが水とこの水の違いだ。一方はセクシーで、もう一方はそうではない。
14 黒い水はセクシーではない。(わたしはそれを見つめながら、他のものを見ていたかったとよく思う。)
15 黒い水はセクシーではない。(わたしはそのまわりで頻繁に悪臭を放つものに遭遇した。)
16 黒い水はセクシーではない。(自分が何を見ているのかさえよくわからないこともある。)
17 黒い水はセクシーではない。(しかし、暗いものをセクシーだと感じるのはよくあることではないか?)
18 黒い水は水の概念にすぎない。
19 黒い水は水の概念にすぎない。(わたしは空想や夢の話をしているのではない。)
20 テムズ川は乾いている。(雨の中でさえ、その水は艶がなく冴えないように見える。)
21 雨が降ると、虫のように小さな斑点がその川の水面に一時的に集まる。雨粒のひとつひとつはほんの小さな闇、飛んでは消えていくような点。
22 先週、その川で身元不明の男が発見された。遺体はアッパー・プールの川辺に身を丸めた胎児のような状態で横たわっていた。足首が縛られ、そのロープが腰に結びつけられていた。
23 テムズ川にはたくさんの橋が架かっている。まるで森のようだ。こんな河川は他にない。そして、橋はすべて魅力的な大きさで、個性に満ちあふれている。決してフーバーダムなんてものではないが、いったい誰がそれらを結びつけようとするだろうか。いや、個人的な見解だけど。フーバーダムやその他の50万トン級のコンクリートの塊に近づくと、あなたとその塊の間にはただ距離しかない。たとえその上に立っていようが、そのダムはまだ遠くに見える。コロラド川のことは忘れていた。どこにある? はるか下方。(726フィート下方だ。)ダムがなかったら、そこに川があることにすら気づくことはなかっただろう。
24 テムズ川にはたくさんの橋が架かっている。まるで森のようだ。こんな河川は他にない。そして、橋はすべて魅力的な大きさで、個性に満ちあふれている。わたしがその川を歩いて渡るとき、橋はその水の延長だ。わたしをその近くへとおびき寄せ、より個人的で孤独な水の体験へと導いてくれる。そこまで近くにいるわけではないとわかっているけれど、そんな風に感じる。
25 テムズ川にはたくさんの橋が架かっている。まるで森のようだ。こんな河川は他にない。そして、橋はすべて魅力的な大きさで、個性に満ちあふれている。どうやらわたしも含まれているようだ。わたしがそのどの橋の上にいるときも、川自体も魅力的な大きさで、個性に満ちあふれているように見える。その川に近づくたびにこんな声が聞こえてくる。 「こんにちは、どうぞ入って」とか「いらっしゃい」とか。
26 雨降りや曇り空の下、わずかな光しか届かない天気の中で、水は単純に水であるわけではない。
27 雨が降ると、虫のように小さな斑点がその川の水面に一時的に集まる。雨粒ひとつひとつがその水に触れることで、とても小さな円がいくつも形成される。接触による束の間の幾何学。
28 繊細な肌理、その場限りの構造。なんて捉えどころのない財宝!
29 あなたは何を考えている? ちゃんと数字を気にしている? あなたはすべての脚注を読まないかもしれない。疲れてどこかへ行ってしまうだろう。(しかし、ここにはもっと多くの、たくさんの写真、たくさんの脚注がある。あなたの後ろや廊下の向こう、そして、別の部屋にも。)
30 あなたは何を考えている? 水面を打つ雨は想像力を掻き立てる。(わたしは一度も訪れたことのない場所を思い出す。)
31 あなたは何を考えている? 水面を打つ雨は魅力的で心地よい。
32 あなたは何を考えている? 水面を打つ雨はそこに映るものを破壊し、景色を鎮める。
33 あなたは何を考えている? 水面を打つ雨は魅力的で心地よく、軽やかだ。その川は干潟に、寝そべるのによいやわらかな場所となる。
34 水面を打つ雨を見ていると、心が落ち着いて不安が静まる。わたしはその川の空間が変化したのを感じる。それは川の周囲のものと一体化し、天気の一部に、空の一部に、そしてなぜかわたしの一部になる。
35 黒い水(この水)は決してやさしくない。黒い水(この水)は冷たく、たいていは冷ややかで、時にひんやりしているが決してなまぬるくはない。黒い水(この水)はかたく、やわらかくない。けばけば、ざらざらしている。ちくちくするかもしれないけど、つるつるしている。それはしばしば乱れていて、穏やかではない。少なくともただ穏やかなことはない。新鮮かもしれないけど、あなたは知る由もないし、決して信じることもない。しきりに動揺している。いつでも騒然としている。黒い水(この水)は決してのどかでもなく、輝いても、澄みきってもいない。止まっているときですら落ち着きがない。深く、どこにあるのかとてもわからない。この水でさえ濡れてはいるがほとんど乾いた状態にある。
1 わたしたちの未来の砂漠は水の砂漠になるだろう。
2 これはカーキかベージュか?
3 これはベージュか黄土色か?
4 これは黄土色か黄色か?
5 これは黄色か緑色か?
6 これは緑色か茶色か?
7 これは茶色か黒か?
8 これは黒か?
9 ある男が椅子に手錠で繋がれたままウェストミンスター橋まで地下鉄で移動したという話がある(実話)。彼は椅子とともにその川に身を投げた。数日後、彼は下流で木の切れ端とビニールレザー(アーモンド色)が引っ付いた姿で発見された。
10 その水の色は変化しつづける。その半分は空だ。
11 その水の色(それがどんな色であれ)は変化しつづける。その半分はカーキ色だ。すべての色彩がその中にあり、いずれも目には見えず、全体は漠然としている。どのみち一度潜ってしまえば、何も見えなくなるだろう。その水の色はわたしにふさわしい、ベージュ。それはわたしにふさわしい、それは色ではなく、その意味では白に似ている、だが区別はない。ベージュは凡庸のひとつ。白は卓越。もしかしたら迷宮のようなもの、命がけのものになる。
12 時にあなたは透明という意味を表すために、白という言葉を使うことがある。白い水は良好で、生き生きとしているように見える。だから、あなたは白い水を持っているのかもしれない。でも、ここにはそれがほとんどない。いずれにせよ、本当に重要なことは、一度その中に入ると、その流れがいかなるものであれ、誰もあなたの姿を見ることができないということだ。その中に入り、沈んでしまうと、誰もあなたの姿を見ることはできない。毛布の場合とは訳が違って、誰もあなたがその下にいるなんてわからない。あなたはあまりにも小さくて、水位は変わるけど、それは瑣末な変化にすぎない。あなたの形も見えず、あなたの動きも見えない。たとえ静かだとしても、誰もあなたを見ることはできない。あなたは誰からも見えていないことを自覚しなければならない。そして、もし、静まりかえっていないのであれば、あなたはすぐに見えなくなってしまうだろう。
13 黒い水、それは気晴らしになる?
14 この紙が水ならば、それは黒だろう。白に見えるかもしれないが、絶対に透明ではない。
15 あなたはこの特定の色16(どんな色であれ)が主に地質によるものだと信じているのか? ただ良質な泥だけがその水をここまで汚い色にするなどと。もしかしたら、その汚さこそが身体の各部位や個人が隠蔽しようとするその人自身を含むさまざまなものを引き寄せるのだと言えるのかもしれない。そうではないかもしれない。もしかしたら、その川の特別な色には形而上学的理由のようなものがあるのかもしれない。たぐい稀な神聖なる偶然の一致のようなものが。それは誰にもわからない。汚い色をした水が人類の謎になりたいと願う者を惹きつけるのか、それとも、人類の謎になりたいと願う者がその水を汚すのか?
16 (濁っているが、ありのままの姿だ。)
17 (この波を見ていると、いつか見た波を思い出す。)
18 この写真はテムズ川のある瞬間のイメージだ。それはまた、動いている水の異なる瞬間、特に高速で動く水の目にはほとんど見えないような瞬間によく似た一瞬のイメージでもある。しかし、あなたは自分の経験から推測することで、実際には見たことのないもの、要するに目に見えないものを認識する。(写真はしばしば見たことのないものや見ることのできないものを写す。あまりにも時間のかかる事象やあまりにも瞬間的な事象を。)あなたは実際には見たことのないものを認識する。この川を何時間もずっと見ていたかもしれないように、あなたはそれらを見ていたかもしれないけれど。しかし、あなたはそれが川であり、至る所で水が動いているのを知っている。あなたは以前それを見た気がしている。でも、あなたは見たことがない。実際に見たのは連結線 、川はしばしば瞬時にその形態をなす。
19 水を写真に撮るとき、それは水の形態から剥ぎ取られる。静止することのない水、液体の現実から。
20 水を写真に撮るとき、本質的に水とは似ても似つかないイメージが水に与えられる。
21 水を写真に撮るとき、絵画的な側面を持たないものに絵画を語るための言葉が使われる。
22 水はどのように見えるか?23
23 砂を参照?(特に砂丘を。)
24 砂漠を参照。たとえば、ゴビやサハラを。
25 写真についてよく言われるように、この写真は凍結した瞬間である。しかし、凍結した瞬間はいかなる瞬間でもなく、それは自己矛盾だ。ここには自己矛盾が集まっていて、わたしたちは他の自己矛盾にもアプローチする。
26 わたしが水を見ているとき、特にこの水を見ているとき、自分がその水の仕組みや詩的なものについて考えていることに気がつく。とりとめもなく考える。さまざまな場所を訪れる。水は他の場所への潤滑油だ。
27 水は他の場所への潤滑油だ。その中にいると重力が弱まり、そのまわりにいると摩擦も減る。およそどんな形態の水でも構わない。川でも湖でも海でも、たとえ排水溝でさえも。わたしの心は自由にあてもなく、風のように水の近くをゆっくりとさまよう。わたしの思考は行ったり来たり。水のそばにあるとき、時間は方向性を持たない。
28 水は他の場所への潤滑油だ。それは記憶と願望の触媒となる。(水のそばにあるとき、時間は方向性を持たない。)
29 水は他の場所への潤滑油だ。わたしは浴槽で旅にでる。
30 あなたはこの水が汚れていることをよく知っている。けれどもあなたが今もなおその周辺を歩いているのは、どこか奇妙なことではないだろうか? 水が澄んだ場所よりもそうではない場所に行ってしまうのはわかるけど、そうした場所は牧歌的な変化に富んでいて、魅力にあふれている。そう思わない? それともこれは倒錯者の見方なのだろうか?
31 あなたはこの水が汚れていることをよく知っている。けれどもあなたが今なおその水に惹きつけられていたり、それを見てまわっていたりするのは奇妙なことではないだろうか?
32 わたしはこの水が汚れていることをよく知っている。その方がより説得力もあるし、より謎めいている。
33 わたしはこの水が汚れていることをよく知っている。そして、昔よりもずっときれいになったと(頻繁に)言われたとしても、わたしはそれを信じない。信じたとしても、それはやはり汚れて見える。
34 テムズ川の闇とは? それはあなた?
35 昼。その水の暗さは空の明るさを映し出さない。やがて夜が明けても、その水は暗いまま、その内にあるすべてのものをその外にあるすべてのものから切り離す。
36 水の間とは? 水は複数形か? たとえひとつの川でも、単数形だなんてことがありえるだろうか? その水はどこから来たのか?
37 この水はわたしを混乱させる。その川の近くでわたしは思う。わたしは誰? ここはどこ? これは何?38
38 (脱水症状かもしれない。)
39 その川はあなたのアイデンティティを溶かすことができるのだろうか? その近くに立つだけで、そのそばに立ちそれをじっと見ているだけで。40
40 混乱している? 迷っている? 広大な水面は砂漠のようだ。目印もなければ、こことそこを見分けるための違いもない。(どこにいるのかわからずに、自分が誰なのかわかるだろうか?)ただ騒動が至る所で絶え間なく。騒動はまた別の騒動へとあちらこちらで果てしなく転調しつづける。その変化は絶えず繰り返され、どこまでも行き渡り、まったく容赦のないものなので、アイデンティティや場所、階級といったあらゆる尺度は薄れ、弱まり、遂には消えてしまう。この水のまわりで過ごす時間が長くなるほど、尺度の記憶は薄れていく。
1 この世界の不透明性は水の中で霧散する。
2 黒い水は世界の不透明性を霧散できない。
3 水は神秘的なものと物質的なものの謎めいた結合だ。想像して。あらゆるものと接触するあらゆるものの影響を受けながらも、少量を手に取ってみれば、今日に至るまでほとんどは透明のまま。それどころか水晶のように澄みきっている。
4 水はあらゆるものの存在から得られる透明性だ。すなわち水は地球を通してふるいにかけられ濾過される。地球、帯水層は不純物を取り除き、純粋性を獲得する。このフィルターが絶妙な平衡を維持し、結果として、いかなるものとも似ても似つかない物質が得られる。あらゆるものがひとつのアイデンティティに収束する。水というアイデンティティに。
5 水は常にその土地の状況、その全体性を映し出す。地質、経済、政治、宗教、あらゆるものを。最終的に、すべてがその川に流れ込む。
6 どの川でニール・ヤングは恋人を撃ったのか?7
7 ニール・ヤングの楽曲「Down by the River」を参照。(「川のほとりで、俺はあいつを撃った…あいつを撃ち殺しちまった…」)。アルバム『Everybody Knows This Is Nowhere』(1969)に収録。(その川は特定されていない。)
8 (あなたはその川で恋人を殺したの? あなたたちはその川で恋人を殺したの? あなたはその川で恋人を妊娠させたの? あなたはその川で何をしたの?)
9 あなたはその川で何をしているの?
10 たとえテムズ川でも、水は少量では目に見えないに等しい。膨大な量になると、水は空気のように可視性を獲得する。深さがあって初めて見えてくるもの。(しかし、この可視性は視界を曇らせるのか、それとも広げるのか?)
11 テムズ川と言えば、今朝、わたしはハドソン川沿いを散歩した。ニューヨークにはその川の色がテムズ川のそれに近い場所がいくつかある。その外見における全般的な違いは、天候だけということもありうる。テムズ川の闇はロンドンなのだろうか(別の脚注を参照)。ハドソン川の闇がニューヨークだとは思わない。ハドソン川は黒いが、暗くはない。
12 水は黒くなると退化して、別物のようになっていく。
13 わたしたちは水が変化しうること、異なるものになりうることを受け入れられない。
14 この水は乾いて、すり減って、光沢もないように見える。(しかし、それは視点やカメラの角度が悪いだけかもしれない。)
15 水は光のことであり、光の存在を明らかにすることである。闇もまた光のことである。黒は光がないことであり、光の存在を疑うことである。
16 水は光との関係を失うと黒くなる。
17 この水が光を反射していないことに気づいたことはある?
18 アンハイドロニー19 は水なき水、水とは正反対にあるものだ。形態は液体のまま、その物質が変わる。もうひとつのアイデンティティに置き換えられる。アンハイドロニーは乾いた水だ。
19 アンハイドロニーはまだ認知されていない言葉だ。存在しないということが、その意味を受け入れることの難しさを指摘している。
20 渇いた水ははっきりと目に見えるのは川や湖だ。そうした自然形成が、その内容にアイデンティティを与える。輪郭を与え、入れ物となる自然形成がなければ、その内容は目に見えないままである。
21 わたしは時々テムズ川は水ではないかと疑っている。
22 わたしは時々テムズ川は偽のアイデンティティの下で流れているのではないかと疑っている。最近、わたしの疑念はますます深まっている。(単純に信用していないのだ。)
23 2日前、その川で中年男性の遺体が引き揚げられた。警察は男性の外套のポケットに収まった辞書を見つけた。ズボンや上着のポケットの中、腰にベルトで留められたポーチの中には細々とした金属類が、ナット、ワッシャー、ネジ、そして、168ポンド52ペンス分のコインが入っていて、その重さは32ポンドにも及んだ。
24 この水はあらゆる他の水と一枚岩のように分割できない連続性をもって存在する。いかなる水も他のいかなる水と分かつことはできない。
25 テムズ川、北極の氷山、あなたのグラス、雨粒、結霜した窓ガラスの表面、あなたの目、そして、あらゆる極小の小宇宙的なあなたの(そしてわたしの)細部の中に、すべての水が収束する。
26 不可分の連続性は水に内在するものだ。この連続性はわたしたちの内の最大を占めるものでありながら、わたしたちを超越している。この連続性こそが、わたしたちが水に及ぼす影響というものをわたしたち自身に及ぼす影響に変える。すなわち「わたしはテムズ川だ!」あるいは「テムズ川はわたしだ!」というように。
27 「わたしはテムズ川だ! わたしはテムズ川だ!」35
28 「あなたはテムズ川だ! あなたはテムズ川だ!」35
29 「わたしたちはテムズ川か?」35
30 「わたしたちはテムズ川だ!」35
31 「テムズ川はわたしたちだ!」35
32 「テムズ川はわたしたちだ!」35
33 「わたしたちの中のテムズ川?」35
34 「わたしたちの中のテムズ川!」35(脚注27から34を繰り返し。)
35 クルト・ヴァイルを参照?
36 (水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?)
37 わたしは黒い水の川を見たことがある。緑や青や黄色に混ざった黒ではなく。真の黒。しかし、そこにはテムズ川から感じられるような暗さはない。テムズ川にはそこに水がないのではないかと思わせるような闇がある。たとえそれが黒くなかったとしても。40
38 ロンドンの地図を見て、黒くないテムズ川を想像するのは難しい。その都市は巨大で密で混沌としていて奥深い。ロンドンはその川に浸透している。39 そして、目には見えないが、その川もその都市に浸透している。しかし、あなたはそれを嗅ぎ分ける。間違いなく嗅ぎ分ける。
39 ここまでのところ、粘度はこの影響を受けていないようだ。
40 テムズ川の闇とは?41 それはロンドンか?43
41 「テムズの河口湾は、ここから果てしない水路が始まるというように、私たちの眼の前に延びていた。…靄が漂っている岸辺の低地は海に向かって薄平たく消え入っていた。上流のほうを振り返れば、グレイヴゼンドの町の上は空気が薄黒く、さらにその向こうでは薄黒い空気が凝って陰鬱な闇となり、じっと動くことなく、地上最大の最も素晴らしい都市の上にのしかかっているように見えた。」42
42 ジョセフ・コンラッドの小説『闇の奥』(1898–1899年、ヴァイキング・プレス版、ポータブル・コンラッド、ニューヨーク、1947年、490頁)を参照。
43 「…河面に夕闇がおり…西の上流のほうを見ると、怪物じみた大都市のありかを示す不吉なしるしが空に浮かんでいた。陽のあるうちは例の陰鬱な闇、星が出始めてからは毒々しい色の灯火の滲みが、そのしるしだった。『昔はこのあたりも』と不意にマーロウが口を開いた。『暗黒の土地だったんだ』。」44
44 『闇の奥』(493頁)を参照。
45 テムズ川はあなただ。
1 闇は太陽を映し出す。黒は無を映し出す。
2 闇は太陽を映し出す。黒は無を映し出す。(「悲しみと無の間にあって、おれは悲しみを選ぼう。」3)
3 ウィリアム・フォークナーの小説『野生の棕櫚』(1939年)より。
4 流れが静かなこの辺りから、あなたはその川の表面に光の筋が伸びているのを目にする。暗い水の中を静かに素早く動きながら、無定型の白く伸びたエネルギーは、その黒さの表面をただ描き出す。目に見えない何かの始まりを。
5 その水に反射する光が時に迷彩のように見えることがあるのに気づいたことはある?
6 この液体の黒さにきらめく光に魅せられて、あなたは光の中へと歩を進め、ほんの束の間それらとともに流れ、沈んでいく。水中から見上げたら、それらは暗闇に輝く星座のように見えるかもしれない。慣れ親しんだ星座とは異なる星座。これまでに見たことのなかった異なる場所の星座。
7 その水が実際にどれだけ危険なのか、見ているだけではわからない。つまり、あなたは水流とともに起きていることを見ることができない。その川は勢いよく流れ、潮の流れの反転を繰り返し、強い底流が生まれていることを。しかし、あなたはそれを感じる。その複雑さ、その脅威、その差異を。それはその川の魅力の一部であり、その闇の一部でもある。
8 静かな場所で、時にその水は臆病であり華奢である。あなたを魅惑するより簡単な入り口。
9 細々とした白っぽい泡がその水に浮かんでいる。その川の動きの影響を受けず、なかなか消えない隊形で群がっている。
10 ここでその水は黒いが実際には見えない。あなたはそれを感じるが見ることはできない。見ることも、指差すことも、触れることも、ただ口にすることもできず、息が詰まる。しかし、それが黒というものだ。
11 黒と水を結びつけるのを想像してみて。ふたつは同等。一方は不変で、もう一方は完全に腐敗する。
12 水の中に入っていくことはあなた自身の中に入っていくこと。水は鏡だ。たとえ黒い水でも、そこにはうっすらとだが反射するものがある。あなたは黒い水の中にあなた自身を目撃する必要はない。
13 そして、初生の水はどうだろう? 未熟な水、若い水は? 陽の光を浴びたことのない水。地球内部から地表に達した幼き水。わたしに言えるのは、「こんにちは」だけ。
14 あなたの姿は水の中で結びつかない。あなたからゆらゆらと離れていく。岸や橋の上に立って、どうすることもできないまま、自分の姿が漂い、そして消えゆくのをじっと目で追いながら、黒い水はいかなる力を呼び寄せるのだろうかと不思議に思うだろう。しかしあなたは本能的に、それが幾何学よりも魔法に近いものだと知っている。15
15 「最高の魔法は幾何学」16
16 エミリ・ディキンスンの詩「1158番」(1870年)を参照。
17 少し前の新聞に橋から飛び降りた若い男性の記事が載っていた。彼はファントムという名の黒い自転車を胸に縛りつけて飛び込んだ。(遺体の確認は半年に及んだ。)18
18 あなたはそれを期待しているのだろうか? あなたはそれを求めているのだろうか? アイデンティティを失うことを。テムズ川にはアイデンティティを溶かす力がある。そうでしょう?
19 その川は下水溝だ。
20 冬、その水の闇は深まり、その川の流れは加速するようだ。
21 冬、テムズ川はひどく単調で、その水の闇は明白だ。目を閉じれば、あなたはその川から漂ってくる闇を感じる。じめじめ、じとじとしていて、鬱陶しい。
22 冬、その空は低く、その水は雲に覆われている。その雰囲気はその川から拡がっている。その水はあなたの視界に染み込む。その水はロンドンの路地や住宅に静かに浸透し、あなたはその川の中に住んでいるのだ。
23 船頭は飛び降り自殺をよく見るのだと語る。ロンドンブリッジ、ハンガーフォード、タワー、ブラックフライアーズ、ウォータールー、ウェストミンスター、ヴォクソールから実際に飛び降りる人々を。その数は多すぎて覚えていられない。飛び降り自殺はよくあることで、もうひとつの交通手段。
24 ある船頭が語るには、飛び降り自殺をする人たちには、橋の欄干に立ちしばらくその水を見つめて、頭から川へと飛び込む傾向があるそうだ。
25 それは冷たく、驚くべきものだ。痙攣し、呼吸が止まり、心臓発作が起きる。そして、あなたは目に見えない場所に入っていく。しかし、それは信仰の行為で、ただその事実を信じればいいのだ。
26 それは冷たく、驚くべきものだ。その水に入ると、それは衝撃的で呼吸が速くなり、あっという間に陶酔感が訪れるが、それは一瞬だけで、あなたが沈み流れていくうちにすべてが明るくなる。
27 それは冷たく、驚くべきものだ。その水に入ると、それは衝撃的で呼吸が深くなり(自分を抑えることはできない)、そして、その水を吸い込んで自由になる。
28 それは冷たい。夏でさえ水は冷たい。衰えることのない闇の冷たさがいつまでも残っている。
29 その川を見渡していると、所々に細々としたものが浮かんでいるのが見える。それによって水の反射はまだらになる。(わたしの姿もそうだ。)
30 イングランド人には殺人事件の被害者の身体をばらばらに切断する傾向がある。ロンドンの歴史において、テムズ川やその岸辺でばらばらになった頭や手足や臓器を目にしない時代などあるのだろうか。先週、警察は腸と足を発見した(右足か左足かという報告はなく)。シルバータウンを越えたところに、腸と片足が。
31 昨日、読んだ夕刊紙にこうあった。「7月8日夜、ロウアープールの川辺を歩いていた男性が偶然人間の頭部を見つけた」と。その頭があるべき身体は数週間にわたって、足はここ、手はあそこといった具合にばらばらに発見された。ひと月かかったが、警察は胴体を含むすべての部位を見つけ出した。(河川交通量多し。)
32 身体の一部(殺人事件の被害者)、死体(自殺、主に飛び降り自殺)、下水(人間の排泄物)、重金属(鉛、水銀、カドミウムなど)。鷺や鵜がその雰囲気をやわらげてくれるけれども、たいしたことはなく、ほんの一瞬のことにすぎない。
33 (テムズ川はわたしたちだ。)
34 テムズ川の闇とは?35
35 「…暗黒の地になっていたんだ。だが、注目すべきはそこに一本 の大河が流れていたことだ…地図で見ると、長々と伸びた巨大な蛇に似ていた。大蛇は頭を海に浸け、曲がりくねった長い胴体を広大な土地に休め、尻尾を内陸の奥深くに消え入らせている。」36&37
36 ジョセフ・コンラッドの小説『闇の奥』(1898–1899年、ヴァイキング・プレス版、ポータブル・コンラッド、ニューヨーク、1947年、497頁)を参照。
37 あなたはわたしがガンジス川のことを話しているのではないかと思っている? それとも長江? あるいはコンゴ川?36
1 あなたは水の何を知っているのか? あなたが水の話をするとき、本当は何について話しているのか?
2 あなたは水の何を知っているのか? その正体を決して知ることができないこと、それが水の一部ではないだろうか?
3 あなたは水の何を知っているのか? それはどこにでもあり、親しみやすいようでいながら、あまりにも捉えどころがなく(いわば定義なきすべてのもの)、たとえ氷の形をしていても決してつかむことができない。
4 あなたは水の何を知っているのか? それがいろんな場所でいろんな形をしているということを除けば。
5 前述のパリから来た若い女性を覚えている? ホテルの部屋から姉妹に宛てた遺書が見つかった。(それはフランス語で書かれていた。)遺書には彼女の悩みが事細かに書き綴られ、歯並びの悪さにも触れられていた。(彼女は出っ歯だと思い込んでいた。)
6 警察によれば、彼女は出っ歯ではなかったので、これには驚いたそうだ。
7 (プディングを参照?)
8 水は遠くにあるものを近くに引き寄せる。どこか外からやってきた見えない力が伝播した水面の模様のように。(精巧で、奇妙な、これらは何だろうか? 一時的な不規則性?)
9 水は遠くにあるものを近くに引き寄せる。どこか外からやってきた見えない力が伝播した水面の模様のように。(これは月か? それともあなたの家から届くささやかなものか?)
10 水は遠くにあるものを近くに引き寄せる。音の断片を。ため息や喉が鳴る音、吸い込む音、ほとんど声と言ってよいような音を。あなたをどこか別の場所、別の時間、どこか遠くの遥か昔の体験に結びつける。
11 あなたがこのような経験をしたことがあるかどうかわからないけど、わたしがその水をじっと見つめていると、川からいろいろな歌が断片的に聞こえてくることがある。(時にわたしはその声を聞くことさえある。)
12 あなたはこのような経験をしたことがないと思うけど、昨夜、わたしがその水をじっと見ていると、川から「I Say a Little Prayer」が聞こえてきた。(それはわたしが覚えていたものよりもテンポが速かった。)「目が覚めた瞬間…化粧をして…何を着ようかと迷い、小さな祈りを…これがわたしの祈り…わたしは祈りをささげる…これがわたしの祈り…わたしの祈りに答えて…」16 ただ、それはほんの一瞬のことで、本当にささやかで、何事もなかったかのようだった。(もしかしたら本当は聞こえなかったのかもしれない。)
13 バート・バカラックとハル・デヴィッドの楽曲「I Say a Little Prayer」(1967年)より。アレサ・フランクリンが1968年に録音したものを参照。
14 その川を訪れることは一石二鳥だ。あなたはそこに立ち、同時にいろいろな場所に行く。
15 (これは波?)16
16 (波のようなものかも知れないが、わたしが寝そべり、くるまることのできる柔らかい場所でもある。)
17 あなたはわたしがなぜガンジス川の話をしないのかと思っている? それとも長江? あるいはミシシッピ川?
18 これは水のイメージだ。それをじっと見るとき、おそらくあなたが今そうしているように、あなたは紙をみているのであり、水と紙の両者の間には必然的な関係性はない。でも、その紙はそのイメージを拡散したり、それを促進したりして、そうして、あなたは目の前の濡れていない水を目にすることになる。あらゆるイメージと同様に、あなたは自分が見ているものを想像し、そうすることで理解する。
19 このイメージ(または他のイメージ)を見るとき、あなたは自分が飛び込むのを想像する?
20 このイメージを見るとき、あなたはこの紙の滑らかさについて考える? どれほど柔らかく官能的かを?(しかし、あなたは飛び込むことはできない。)
21 その水の上に散りばめられた小さな数字。これをあなたが読んでいるように、それらの数字はあなたとこの川を結びつける無限に続くかのようなシークエンスに流れ込んでいる。あなたは数字が配置されたその水の中のさまざまな特定の点に結びつけられる。そして、ただのイメージにすぎないとしても、あなたはこの水に結びつき、もしかしたらあらゆる水とさえ結びついているかもしれない。だが、まずはおそらく、ほんの一瞬、偶然にも、それほど昔ではないもののすでに過ぎ去ったこの水とだけ結びつく。
22 この脚注(とその他すべての脚注)は、この紙のこの場所(上から21インチ、下から7インチ)で、その水の波動に、その水を描くのに使われた緑色がかったインクに、水、すべての水の概念に、この紙の官能的な表面に、この数字に遭遇した瞬間に、そして、その瞬間のあなたに合流点を与える。
23 テムズ川はわたしだ。
24 ここは脚注24。このインスタレーションに真の始まりはないが、あなたはどこからか始めているはずだ。この脚注24から始めたかもしれない。ということは、あなたがもうしばらく続けていけば、わたしが何を話しているのかがわかるだろう。
25 この脚注はどう? 気に入った? 数字の位置を数インチずらすこともできたけど、そしたら内容が変わってしまったかもしれない。
26 順番通りに脚注を追っている? それとも気に入ったものを選んでいる?
27 (数字は紙の上に浮かんでいるけれど、あなたはそれらが動いていないことに気がついた?)
28 (数字は水の中に浮かんでいるけれど、あなたはそれらがそれでも動いていないことに気がついた?)
29 (数字は地図上の三角点のように、そのイメージに固定されていることに気がついた?)
30 写真の上に散りばめられた数字は、この光景を構成する星座だ。
31 写真の上に散りばめられた数字は、その水に浮かんでいるゴミのように混乱と不快感をもたらしてくる。
32 写真の上に散りばめられた数字はこの光景を解体し、水のイメージを小さな数字で中断する。これらの数字は、より大きな集成 のほんの一部で、目に見えない論理によってその川の流れの中に入り込んでいる。
33 写真の上に散りばめられた数字は、浮遊する数値、観賞用の水生の数字群。
34 これらの水生の数字群はその川の新しい魚か?
35 その川は10年前はもっと黒かったが、今ではきれいになったらしい。(でも、この波動、この奇妙な不規則性はどうだろうか?)
36 この歌を知っている?
「ブラー、ブラー、ブラー、あなたの髪
ブラー、ブラー、ブラー、あなたの瞳
ブラー、ブラー、ブラー、ブラー、愛する
ブラー、ブラー、ブラー、ブラー、空に 。」
37 アイラ・ガーシュウィンが作詞した楽曲「Blah, Blah, Blah」(1931年)より。37
38 (時にその川から「ブラー、ブラー、ブラー」と聞こえてくる。もしかしたら違うかもしれないけど、「Blah, Blah, Blah」みたいだ。ただ、「瞳 」と「空 」が、「偽り 」、「動機 」、「見せかけ 」、「ため息 」、「ため息 」の間をさまよう。)
39 (この波を見ていると、ある波を思い出す。子どもの頃に見た波、それは寝床の上だった。)
40 水とは何か?
41 あなたは水の何を知っているのか?(それがいろんな場所でいろんな形をしているということを除けば。)
1 「ここで降参したねずみが一匹。」2
2 エミリ・ディキンスンの詩「1340番」(1870年)を参照。
3 濁っている? それともこれがありのままの姿?
4 テムズ川は混濁している。
5 混濁であって膨張ではない。だが、時にわたしはテムズ川が膨張していると感じる。もうひとつの水でむくんでいると。
6 混濁であって膨張ではない。(しかし、膨張の瞬間も時折あるらしい。)7
7 (これは膨張の瞬間。)
8 死体、特に川で見つかる死体は膨張しているらしい。だが、その水自体、少なくともこの川の水はたしかに混濁している。
9 腐敗臭!(腐敗臭は良い。そこに生命の予感がするから。悪臭は良い。だがそこに生命はない。)
10 毒々しさはどうだろうか? ぞっとするような、あるいは嫌悪感を抱くような毒々しさ。この水は確かに毒々しい。
11 毒々しさはどうだろうか? 毒々しさがその川の魅力を高める。
12 酸敗臭?(個人的にわたしはそれを疑う。)
13 その川を見るたびに所々糞尿が頭に浮かんでくるのを白状しなければならない。糞尿を連想させる自然形成のようなものをめぐる美化再生事業に疑問を感じないか? わたしはそれを古く単純な水に対する郷愁だと考えている。この種の河川開発には皮肉が込められている。落水を怖れ、たとえ1秒たりとも沈みたくないと怯えるのはわたしだけではないだろう。
14 テムズ川は誤認されたアイデンティティの一事例なのか?
15 少年は汚れた川で洗礼を受ける(偽りの名の下に)。翌日、少年はその川に戻り、入水自殺する。16
16 フラナリー・オコナーの短編「河」を参照。『善人はなかなかいない』(1955年)に収録。
17 幼い少女たち、姉妹は互いをハンカチで結びつけ、その川に身を投げた。18
18 チャールズ・ディケンズの小説『互いの友』(1865年)を参照。
19 テムズ川が透き通っていたことなど一度もなかったのではないだろうか。しかし、今日、その透明性の欠落が意味するものは200年前や500年前のそれとは違う。
20 夜、その川は可能性の風景の音を奏でる。耳をすまさなければ、それは聴こえてこない。急流が生み出すホワイトノイズ以上のものを聴くためにはということだが。そして、あなたが暗闇の中で耳にするのは繊細で捉えどころのない音。昼もそこにあるはずの音は、光に遮られ、聞こえない。
21 水がほっとため息を吐き。水がちゅうちゅうと吸い。水がぺろぺろと舐め。水がぴちゃぴちゃと飲み。水がびちゃん。水がぼちゃん。水がばちゃん。水がざぶん。水がざぶざぶ。水がじゃぶじゃぶ。水がさらさら。水がしんと静まりかえり。水がどっと流れ出し。水がぶしゅっと噴き出し。水がぶくぶく泡立ち。水がごぼごぼ流れゆき。水がちゅうちゅうと吸う。(このイメージからこれらの音を連想するのは難しい。)
22 このイメージはむしろびちゃん、ばちゃん、ぼちゃんといったものに近い。(しかし、もっぱらわたしはこの粘り気のあるものを静寂ではないかと想像している。)
23 水はどのように見えるのか?24
24 ゼラチンを参照。
25 その川で若い男が浮いているのが見つかった。両手は紅白の絶縁テープでぐるぐる巻きにされ、親指だけが「鉤爪」のように立っていた。
26 わたしたちはみな、一種の暗黙かつアプリオリな生存のメカニズムの下、あたかもそれが水であるかのように振る舞うことを決めた。しかし、誰もがテムズ川を流れるそれが水ではないということをわかっていた。だが、わたしたちはそれを呼ぶ名前を持たない。そして、婉曲的には「不純物」に包含されるこの物質に名前がない理由には、わたしたちがテムズ川を覗き込むとき、自分が見ているものの正体がわかっていないということがある。
27 その川を流れているものが何であれ、書物には載っていない(少なくとも辞書には載っていない)。水を定義するいかなる形容詞もテムズ川には当てはまらない。(それは透明や純粋ではなく、無色でもなく、無臭や無味でもない。)それは依然として水と呼ばれているかもしれないが(たいていはそう呼ぶ)、それは間違っている。それはもうひとつの水に他ならず、もうひとつの水は水ではない。
28 もうひとつの水は水ではない。(水はただひとつであり、それ以外にはない。)
29 その川は自らに影を投げかけ、本来の姿になる。影や汚物は、暗闇やあらゆるもの(アイデンティティ、場所、地質など)を貫く時の流れでその水を濁らせる。その水はイメージなき闇に満たされた想像の及ばぬ深さに向かって流れ込む。
30 あなたが水を見つめるとき、あなたは自分が思い描いているのは水面に映るあなたの姿だと理解している。でも、それはあなたの姿ではない。(あなたは水の反射した姿である。)
31 わたしたちは現代の水がほとんど過去の水のパロディであることを認めなければならない。
32 別の自殺の方法も別の川での溺死すらも同じではない。テムズ川であなたは二重の死を遂げる。死ぬだけでなく消えるのだ。
33 行方不明、潜伏、沈黙、孤立、内密、孤立、秘密、孤立、不可視、消滅、消去、ただ消え去る。
34 今朝、生まれたばかりの女の子の遺体がその川から引き揚げられた。(彼女は胎盤と出産時に使われたタオルと一緒にバッグに入っていた。)
35 その川の流れは速く、物はすぐに無くなってしまう。永久に消えて、二度と再び姿を現すことさえないということもあり得る。それはこれまでにもあった。行方不明、さしあたりその夜だけ。急に行方不明になることもあるが、それで十分ではない。黒はそれだけで十分だ。黒は変わらない。わたしがどこへ行こうとどこへ連れていかれようとも。また、黒は光を排除する。それはまわりのいかなるものとも違って、光を寄せつけないことで見えているのだ。
36 今週、タワー橋から少し離れたところで自殺があった。橋を歩いていた若い女性が欄干を乗り越え飛び降りた。目撃者は「彼女は躊躇せず、すぐに飛び降りた」と語った。水面に浮かぶハンドバッグは見つかったが、現時点ではそれがすべてである。
37 「これは橋の下を流れる水ですか?」38 あなたはこの問いかけが脚註に現れるのを予測していたかもしれない。ほら、驚いた?
38 水以外の物の一部が水であるように、水もその一部のみが水である。
39 その水が所々濁っていることに気づいたことはある?
40 ゼラチン状の瞬間。41
41 「ゼラチン状あるいは粘性の物質」に関して、エドガー・アラン・ポーの短編「ヴァルドマアル氏の病症の真相」(1845年)を参照。
42 アーヴィン・ショーテス・イヤワース・ジュニアが監督、スティーブ・マックィーンが主演を務めた映画『ブロブ』(1958年)を参照。
43 マルティン・ハイデッガーの論考「物への問い」(1967年 )を参照。
44 アスピック? を参照。
1 これはゼラチン状の瞬間なのか?²
2 (この形態は粘性の局所的変動の結果のように見える。)
3 時にわたしはその水を見つめて、おそらくはただ表面がきらめいているだけと知っているにもかかわらず、その川に色彩豊かな金属、たぶんカドミウムや銀が塗布されているかのように見ている。
4 これは膨張した瞬間。
5 膨張であって混濁ではない。しかし、実際にはテムズ川は混濁もしていて、絶えず濁っている。
6 コップ一杯のその川の水はあらゆるもので混濁している。7 しばらくすると沈殿するが、それらは再び攪拌を待っている。
7 濁っている、ありのままの姿ではない。
8 その水は黒く、おそらくその川も黒い。その川は色彩にあふれているが、それはその水ではない。ありえない。それは内側にあるものを覆い隠す包みのような表面にすぎない。だが、包み終えてもその内側が黒いことはわかっているから問題はない。内側があることもわかっている。たとえその色がベージュや黄土色、緑色やくすんだ黄色、黄灰色、乳白色がかった茶色、あるいは銀色だとしても。それは問題ではない。なぜなら一度その中に入ってしまえば、そこは黒。ただそれだけ。
9 時にわたしはその水を見つめて、おそらくはなんらかの重金属か油分が表面に固まっているだけと知っているにもかかわらず、水面がきらめいているのだとすぐに間違えてしまう。
10 水とは何か?
11 水は天気である。あなたの天気、わたしの天気。
12 天気について考えることは水について考えること。13 水について考えることは、その未来について考えること、あるいはただ未来を。わたしの未来、あなたの未来。水は個人的なもの、特に今は。天気も個人的なもの。
13 「わたしが思うに、風の根っこは水だ」 14
14 エミリ・ディキンスンの詩「1302番」(1874年)を参照。
15 時にわたしは川沿いを歩きながら、その水のほんのわずか気づくか気づかないか程度の濃さを目にする。同期がずれているような光に対する鈍い反応。まるでその表面が巨大な水の塊から取り除かれ、消えてしまうかのように。
16 ある水(この水ではなく)に映るあなたの姿があなたに結びつく。それはあなたと同じ動きをする。あなたが川を離れるとあなたの姿は消える。ただ、この消滅にはどんな魔法もなく、もしかしたらわずかばかりの幾何学、むしろ初歩的な光学があるだけ。しかし、この水に映るあなたの姿はあなたに結びつかない。あなたからゆらゆらと離れていく。岸や橋の上に立って、どうすることもできないまま、自分の姿が漂い、そして消えていくのをじっと目で追いながら、黒い水はいかなる力を呼び寄せるのだろうかと不思議に思うだろう。しかしあなたは本能的に、それが幾何学よりも魔法に近いものだと知っている。17
17 「最高の魔法は幾何学」 18
18 エミリ・ディキンスンの詩「1158番」(1870年)を参照。
19 テムズ川は下水溝だ。
20 イングランド人には殺人事件の被害者の身体をばらばらに切断する傾向がある。ロンドンの歴史において、テムズ川やその岸辺でばらばらになった頭や手足や臓器を目にしない時代などあるのだろうか。先週、警察は腸と足を発見した(右足か左足かという報告はなく)。シルバータウンを越えたところに、腸と片足が。
21 昨日、イブニングスタンダード紙にこうあった。「通行人が人間の頭部や手足が泥から突き出ているのを目撃した…」11もの部位がその川から発見されたが「意味深長なことに胴体は見つからなかった」と。(河川交通量多し。)
22 どこにその胴体はあるのか?21
23 その川で小さな包が見つかったという幼い頃に聞いた話を思い出す。それは白い布に包まれて電気コードで縛られていた。警察がそれを解くと、一卵性双生児、生まれたばかりの男の子たちがそこにいた。
24 これは下流へと流れていく水。そのほとんどは北海に流れ込む。はるか下流を写した次のイメージを見よ。
25 婉曲的に水として知られているこの水は、実際は水とは正反対にあるもの、もうひとつの水だ。
26 水。あなたの水、わたしの水は結合した水だ。水は決して形態のみならず、関係性でもある。たとえば、その形態は液体であり、その関係性はあらゆるものに対する不可分の結びつき。無生物との表面的な関係、生物との親密な関係。
27 (水は万能な動詞だ。恒久的関係の行為。)
28 毎年その川では身元不明の死体がひとつやふたつ見つかる。29
29 あなたはそれを期待しているのだろうか? あなたはそれを求めているのだろうか? アイデンティティを失うことを。テムズ川にはアイデンティティを溶かす力がある。そうでしょう?
30 どの川でジミ・ヘンドリックスは恋人を撃ったのか?31 それが川だったのか定かではないけど、おそらくそうあるべきじゃないだろうか。(わたしがバーゼルにいるときは、それはきっとライン川だろう。市内でもっとも流れが速く、荒れ狂う川。)
31 ビリー・ロバーツ作詞作曲、ジミ・ヘンドリックスが1967年 に録音した楽曲「Hey Joe(ヘイ・ジョー)」を参照。(俺はあいつを撃ち殺す。いいか、俺はあいつが別の男といちゃついているのを見ちまったんだ…)
32 「わたしをその川に連れていって、その水の中に投げ込んで。」33&34
33 (テムズ川なら殺人事件だろう。)
34 アル・グリーンとマボン・ホッジスの楽曲「Take Me to the River」を参照。
35 (あなたはその川で恋人を殺したの? あなたたちはその川で恋人を殺したの? あなたはその川で恋人を妊娠させたの? あなたはその川で何をしたの?)
36 あなたはその川で何をしているの?
37 どこにその胴体はあるのか?21
38 その川を見るたびに所々糞尿が頭に浮かんでくるのを白状しなければならない。この特定の写真を見てというわけではないけど、糞尿を連想させる自然形成のようなものをめぐる美化再生事業に疑問を感じないか? わたしはそれを古く単純な水に対する郷愁だと考えている。この種の河川開発には皮肉が込められている。落水を怖れ、たとえ1秒たりとも沈みたくないと怯えるのはわたしだけではないだろう。
39 どこにその胴体はあるのか?21
1 あなたは水の何を知っているのか? あなたが水の話をするとき、本当は何について話しているのか?
2 あなたは水の何を知っているのか? その正体を決して知ることができないこと、それが水の一部ではないだろうか?
3 あなたは水の何を知っているのか? それはどこにでもあり、親しみやすいようでいながら、あまりにも捉えどころがなく(いわば定義なきすべてのもの)、たとえ氷の形をしていても決して掴むことはできない。
4 あなたは水の何を知っているのか? それがいろんな場所でいろんな形をしているということを除けば。
5 あなたは水は波立つか凪いでいるかだと言う。あなたは水は荒れ狂い静まることがないと言う。あなたは水はかき乱されていると言う。あなたは水は静まりかえっていると言う。水はのどかで時に澄んでいて、純粋かもしれないし、きらきらと輝いている。水は重い。それは事実だ。水はしばしば穏やかで、落ち着いてさえいる。水はじっとして動かず、奥深くもあるだろう。水は冷たかったり温かかったり、ひえびえとしていたりぬるかったりする。あなたは水はせかせか、きびきび、時にてきぱきしていると言う。あなたは水はやわらかく、かたいと言う。あなたは水はちくちくしているし、つるつるしていると言う。あなたは水は腐敗していると言う。あなたは水は新鮮だと言う。あなたは水は平穏で物憂げだと言う。あなたは水はやさしいと言う。
6 水とは何か?
7 あなたがそれを川と言う。わたしはそれを信じる。でもあなたがそれを水と言うなら、わたしはそれを疑う。8
8 テムズ川は誤認されたアイデンティティの一事例なのか?
9 光が水をカモフラージュすることに気づいたことはある?
10 水が水らしく見えることなんて滅多にないと気づいたことはある?
11 水はどのように見えるのか?12
12 軍用迷彩を参照。ポーリッシュ・プレジデンシャル、イタリアン・ウッドランド、サンマルコ・メディテラニアン、インドネシアン・スポット、そして、ベルジャン・ジグソー。
13 夜、水面に反射するものがどれだけ水をより水らしく見せているのか気づいたことはある?
14 流れが静かなこの辺りから、あなたはその川の表面に光の筋が伸びているのを目にする。暗い水の中を静かに素早く動きながら、無定型の白く伸びたエネルギーは、その黒さの表面をただ描き出す。目に見えない何かの始まりを。
15 夜、あなたはその黒さを見ることができない。そこにはただ闇のみ。あなたがその黒さを見ることができるのは昼だけ。そこで、あなたはそれが反射ではないと知る。
16 河岸に近い静かなところ、その水の表面はキルトのようでやわらかい。(やわらかく見える?)。
17 雨降りや曇り空の下、わずかな光しか届かない天気の中で、水は単純に水であるわけではない。
18 時にあなたはその水を聞くことができる。だけど、その違いを本当に聞くことはできない。
19 ときどき、たいていは夜、わたしはばしゃんとかぼちゃんという音を耳にするが、何も見えない。(あなたはその川で何が起きているのか本当にわかっている?)
20 「ここで降参したねずみが一匹」21
21 エミリ・ディキンスンの詩「1340番」(1870年)を参照。
22 『欲望 』を見たことはある?23 公園のシーンは覚えている? 風に吹かれて茂みが音を立てるのを。そしてあのカメラはただじっと見つめる、あのひらけた草地を歩きさまよう。茂みの音は不吉だ。その川はわたしにあの音を思い出させる。
23 フリオ・コルタサルの短編『悪魔の涎 』が原作となった、ミケランジェロ・アントニオーニの1966年の映画。
24 『欲望』の茂みの音を聞くと、『太陽はひとりぼっち』25 のだだっ広い駐車場のようなところにあるポールの音を思い出す。夜、ロープが当たる音、一列に並んだポール。
25 ミケランジェロ・アントニオーニの1962年の映画。
26 あなたがこのような経験をしたことがあるかどうかわからないけど、わたしがその水をじっと見つめていると、川からいろいろな歌が断片的に聞こえてくることがある。(時にわたしはその声を聞くことさえある。)
27 あなたはこのような経験をしたことがないと思うけど、昨夜、わたしがその水をじっと見ていると、川から「Ain’t No Way」が聞こえてきて、ゆっくりと何度も、うっすらと覚えているのは「ありえない…ただありえない、無理なの…そんなのありえない…絶対にありえない…ただもうありえない…ありえない…(あなたを愛するなんて)。」それはほんの一瞬のことで、わたしがただそう思い込んでいただけなのかもしれなかった。
28 キャロリン・フランクリンの楽曲「Ain’t No Way」(1968年)より。アレサ・フランクリンが1968年に収録したものを参照。
29 水は不透明か? あなたは曇っているとか透明ではないとか言うかもしれない。不潔とか不純とか、混濁しているとか濁っているとか言うかもしれないけれど、不透明だなんて言うだろうか? たとえ汚れていても水はいつでも透明ではないかとわたしには思える。それは水の根本的な概念ではないか? それはわたしたちのこだわっているものではないか?
30 (テムズ川はわたしたちだ。)
31 ある男が恋人の目の前で溺死した事件を覚えている。まるで映画のようなセンセーショナルな出来事。話はこうだ。夏も終わりに近づいたある夜、恋人同士がウェストミンスター橋を歩いていたところ、ひとりが恋人の方に振り向き、「好きだ」と告げて、前触れなど何もないまま欄干を越えてその川に飛び込んだ。残された男は欄干に駆け寄り、その水を見下ろす。橋の下方から自分の名前を呼ぶ声が聞こえたが、恋人の姿を見つけることはできなかった。遂にその顔を見つけたが、彼は流れに飲み込まれ、引きづり込まれていった。あなたはこの話を覚えている? たぶん覚えていないよね。(なぜかわたしには聞き覚えがあった。)
32 (ここではアメリカ合衆国に比べて、溺死がより一般的な自殺の方法だ。向こうではたいていが射殺。ここでは銃が手に入らないからだろうか。だがもしかしたら、その水の質のせいかもしれない。外国人もここに身投げしにくるのだからそうに違いない。)
33 最近のまた別の出来事。ある男が仲間によってその川に投げ込まれた。(いたずらで、ただちょっとふざけていただけだった。)投げられた男が近づいてきたものを偶然手に取ると、掴んだそれは死体だった。
34 何かが川で起きるのを注視していなければいけない。わたしは常に何かを見逃すのではないかと恐れている。
35 目撃者は、(真夜中に)ひとり飛び降ると、反対側からふたり現れたと語る。(まだ遺体は見つかっていない。)
36 ときどき、たいていは夜、わたしはばしゃんとかぼちゃんという音を耳にするが、何も見えない。(あなたはその川で何が起きているのか本当にわかっている?)
37 (あなたはその川で何をしているの?)
38 あなたはわたしがガンジス川のことを話しているのではないかと思っている? それとも長江? あるいはミシシッピ川?
39 この形のない、変化し続ける形は驚きではないだろうか? あまりにも複雑で精巧で瞬間的な。その簡潔さの中にある財宝は特に貴重だ。
40 光の中で、水は単純に水なのか?
41 しかし、水はどのように見えるのか?
42 これは水か?
1 わたしはいかに水は鏡であるのかについて語らない。
2 あなたはいかに湖が鏡になりうるのかを知っている。浴室にあるような鏡。太陽が対になって沈む田園の風景。そして、あなたは静かな湖面に静止した完璧なる姿を見る。だが、あの種の鏡はいずれにせよいかなる川の言語でもない。よろしい、水面が凪ぎ、物がまだらに増殖する夜があるのかもしれない。けれども、物の姿が川で二重になることなどほとんどない。それ故に川の近くにはさまざまな種類の孤独があるのかもしれない。
3 あなたは自分がどんな風に川沿いを歩いているのかを知っている? あなたは湖畔を同じようには歩かない。同じように腰を下ろすかもしれないけど、同じようには歩かない。あなたは歩き、川は流れる。あなたは川の流れとか反射とか、なにかしらを見ている。水の中に何かを見るのではないかと考えながら。あなたはじっと見る。何かが現れてくるのを待ちながら。たいていは何も現れないけど、あなたは待ちながら、引き込まれている。思考はあてもなくさまよう。何かが別の何かを呼び、また別の何か、そしてまた別の何かを呼ぶ。
4 あなたは自分がどんな風に川沿いを歩いているのかを知っている? あなたは歩き、川は流れる。あなたは川の流れとか反射とか、なにかしらを見ている。水の中に何かを見るのではないかと考えながら。あなたはじっと見る。何かが現れてくるのを待ちながら。ただ、もしそこが湖ならば、あなたは腰を下ろしただろう。もしそこが湖ならば、このような予感は生まれないだろう。今にも何かを見つけるのではないかという予感。おそらくは何か気分の悪くなるようなもの、あるいは価値のあるもの。
5 (これは何色?)
6 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。そしてわたしは自分自身が立つ場所から引き離されるのを感じる。頭を川下に向け、あの1点を見つめ、さまざまな姿に変化するのを目で追いながら、最後にどのような形を成すのかを知りたいと願う。
7 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。そしてわたしは自分自身がこの瞬間に引っ張られるのを感じる。時間の中へと伸びて、川下へと伸びて、わたしの視線はこの点のように薄くなり、わたしの視界から消えてゆく。
8 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。そしてわたしはその水の方へと引き寄せられるのを感じる。この点が消えるとき(いかなる点も消えるのだが)わたしは別の点を見つける。そしてまた別の点を。その魅力はわたしがじっと見ている限り続くもの。わたしは誘惑され、なだめられ、欲望を抑えつけられる。ただそれはわたしが見ている限り。
9 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。そしてわたしはその水の方へと引き寄せられるのを感じる。拒むことはできない。
10 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。そしてわたしは自分自身が立つ場所から引き離され、その点に引き寄せられるのを感じる。自分自身がその点に向かったり、触れたり、ただ目を凝らしたりするのを想像するとき、静けさがわたしを包み込む。
11 この絵に見覚えはない?12
12 あなたもクロード・モネのことを考えている?
13 光の中で、水は単純に水である。
14 醜く捉えどころのない色彩に紛れて、黒は変わらない。
15 醜く捉えどころのない色彩に紛れて、黒は変わらない。これらの役立たずでどうしようもない色彩が黒い場所の周辺に集まる。(テムズ川はトンネルだ。)
16 (これは何色?)
17 その川はトンネルだ。市民社会の基盤。
18 その川はトンネルだ。数え切れないほどの入り口を持つ。
19 あなたはその川に入るとき、新しい入り口を見つける。そして自分自身の中に出口を見つけ出す。見えない出口、あなたの出口を。(あなたがそれを運んできたのだ。)
20 水は寛容だ。それは来るものすべて、わたしたちが持ち込むすべてを受け入れる。
21 水はあまりにも寛容だ。水は自分を見失う。
22 水はあまりにも寛容だ。自分を見失い、水そのもののイメージ(それだけ)になりゆく。
23 水はあまりにも寛容だ。自分を見失い、水とは正反対のものになる。あなたを汚染する水に。
24 あなた自身を水に投影するのは容易いことだ。その暴力性、冷静さ、変わりやすさはわたしのもの(あるいはあなたのもの)。わたしはそうした気分を自分から引き離すことはできない。だが、どのみちそれらが別々にあるとも考えていない。
25 あなたが水を見つめるとき、あなたは自分が思い描いているのは水面に映るあなたの姿だと理解している。でも、それはあなたの姿ではない。(あなたは水の反射した姿である。)
26 (これは何色?)
27 警察は目撃者の証言から、ある男がパーソンズ・グリーンにあるモスクで午後の礼拝を済ませた後、そのまま川に向かったという話をまとめあげた。彼は遺書を書き、シャツのポケットにしまい込んだ(未発見)。彼は河岸に靴と靴下をきれいに揃えていた。
28 わたしたちは過去の水への郷愁に襲われる(あなたはそれをロマンスとさえ呼ぶかもしれない)。あるいは、はるか遠くの人里離れた場所に残る今日の水への郷愁、水らしさを留める水への郷愁に。いずれにせよ、この郷愁はふたつの水がまったく同じものであるかのように現代の水を包含する。
29 この水は未知なるものに溢れている。言葉に絶するような、発音できないものに。時にわたしはその水の中にあらゆるものを想像して自分自身を慰める。その恐怖によって。それはねずみやコンドームや下水のようなわかりやすいものだけではなく。これらはまだ序の口で。わたしはウイルスやバクテリアなんかを思い浮かべようとする。肝炎や大腸菌、赤痢菌やコレラ、ワイル病と呼ばれているもの、そして、本当かどうかわからないけど、ペストの残滓と思われるもの、ほとんど水のようなものとして消えることなく残っているものたちを。
30 そして、黒水熱はどうだろう。どこかにあるはず。満潮時のシルバータウン付近にあるのが目に浮かぶ。肝炎が鉛や水銀や燐と混ざるのを想像して。そこで何が起こるか誰が知っていようか。
31 そして、金はどうだろう? あらゆる秘密の財宝は? 結婚指輪や金の詰め物は?
32 (これは何色?)
33 そして、近代の神話である次のような錬金術の類。たとえば、ポリフェノール、ポリ塩化ビフェニル、塩素化炭化水素、トリクロロエタン、そして、はっきりとした姿形もわからないまま、世界中からもたらされるこの種のものたち。
34 そして、ちっちゃなちっちゃな男の子女の子。もう随分時間は経ったが、みんなまだそこにいるに違いない。何千何万と。もしもその川の流れを止めたなら、おそらくそこにどろどろとしたものを見ることになるだろう。
35 ちっちゃなちっちゃな人間未満のもの。肥料。少なくともアマツバメにとっては。(テムズ川全体がアマツバメの養分。)
36 水の中にあなた自身を見るとき、あなたの中に水を感じる?
37 水の中に入っていくことはあなた自身の中に入っていくこと。水は鏡だ。たとえ黒い水でも、そこにはうっすらとだが反射するものがある。あなたは黒い水の中にあなた自身を目撃する必要はない。
1 テムズ川が透き通っていたことなど一度もなかったのではないだろうか。しかし、今日、その透明性の欠落が意味するものは200年前や500年前のそれとは違う。
2 黒い水はあらゆるものを分かつ。それは現在と過去の間をまっすぐに流れる。今日のあなたと明日のあなたの間をまっすぐに流れる。
3 目障りで捉えどころのない色彩に紛れて、黒は変わらない。
4 その川の流れは速く、物はすぐに無くなってしまう。永久に消えて、二度と再び姿を現すことさえないということもあり得る。それはこれまでにもあった。行方不明、さしあたりその夜だけ。急に行方不明になることもあるが、それで十分ではない。黒はそれだけで十分だ。黒は変わらない。わたしがどこへ行こうとどこへ連れていかれようとも。また、黒は光を排除する。それはまわりのいかなるものとも違って、光を寄せつけないことで見えているのだ。
5 遺体はどこまでも流れていく。ロウワー・ホープ・リーチを過ぎてしまえば、二度と見つかることはないだろう。
6 遺体はどこまでも流れていく。だが、沈んでしまい二度と浮き上がってこない可能性もある。潮の満ち引きや川の流れに捕まって、果てしなく深い水の底へと沈んでいく。数日後や数週間後、再び同じ場所に現れる可能性もある。
7 今日、若いドイツ人女性の遺体がその川で見つかった。
8 昨日、首にウォークマンのヘッドフォンが巻きついた若い男性がその川で見つかった。
9 かつて死者の階段と呼ばれた場所があった。死体が流れ着く場所。しかし、(100年以上前に)堤防の形が変わり、いまではどこからでも死体が姿を現す。
10 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。そしてわたしは自分自身が立つ場所から引き離されるのを感じる。頭を川下に向け、あの1点を見つめ、さまざまな姿に変化するのを目で追いながら、最後にどのような形を成すのかを知りたいと願う。
11 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。そしてわたしは自分自身がこの瞬間に引っ張られるのを感じる。時間の中へと伸びて、川下へと伸びて、わたしの視線はこの点のように薄くなり、わたしの視界から消えてゆく。
12 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。そしてわたしはその水の方へと引き寄せられるのを感じる。この点が消えるとき(いかなる点も消えるのだが)わたしは別の点を見つける。そしてまた別の点を。その魅力はわたしがじっと見ている限り続くもの。わたしは誘惑され、なだめられ、欲望を抑えつけられる。ただそれはわたしが見ている限り。
13 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。そしてわたしはその水の方へと引き寄せられるのを感じる。拒むことはできない。
14 わたしの視線がその水に止まる—その川のどこか(この点)に。そしてわたしは自分自身が立つ場所から引き離され、その点に引き寄せられるのを感じる。自分自身がその点に向かったり、触れたり、ただ目を凝らしたりするのを想像するとき、静けさがわたしを包み込む。
15 これは白か銀か?
16 これは銀か灰色か?
17 これは灰色か緑か?
18 これは緑か青か?
19 これは緑か青緑か?
20 これは青緑か青か?
21 これは青か黒か?
22 これは黒か?23
23 ありのままだ! 濁ってはいない。
24 その川は静かで心地よく、絶え間ない。その色は好奇心をそそる。そして、それは表面を覆うだろう。あなたには覆いが必要だ。(その川はトンネルだ。)
25 その川は静かで心地よく、絶え間ない。その色は好奇心をそそる。そして、それは表面を覆うだろう。あなたには覆いが必要だ。(その川は入り口だ。)
26 その川は静かで心地よく、絶え間ない。その色は好奇心をそそる。そして、それは表面を覆うだろう。あなたには覆いが必要だ。(その川はハイウェイだ。あるいはただ人を運ぶものかもしれない。)
27 その川は静かで心地よく、絶え間ない。その色は好奇心をそそる。そして、それは表面を覆うだろう。あなたには覆いが必要だ。(その川は市民社会の基盤だ。)
28 これはさざ波か撹乱か?
29 これは撹乱か波動か?
30 これは波動か陥没か?
31 これは陥没か?
32 これは陥没か変色か?
33 (この辺りが明るいことに気がついた? それはなぜか? どこにも影がない。)
34 これは変色か光収差か?
35 これは光収差か錯覚か?
36 これは錯覚か傷か?
37 (それは傷だと思う。)
38 (この辺りが暗く、色も違うことに気がついた? それはなぜか? どこにも影がない。)
39 この水はわたしを混乱させる。その川の近くでわたしは思う。わたしは誰? ここはどこ? これは何?
40 誘惑に駆られたことはある? たとえ1秒でも、この川を歩いて渡りたいという誘惑に。
41 行方不明、潜伏、静寂、孤立、内密、孤立、秘密、孤立、不可視、消滅、消去、ただ消え去る。
42 行方不明、潜伏、静寂、孤立、内密、孤立、静寂、孤立、潜伏、孤立、静寂。
43 その川を見て、その水を油断ならないものだと考えたことはある?(ただその流れだけでなく、その魅惑や、近づきすぎると魔法をかけられてしまうような?)
44 問題:誘惑 とともにテムズ川を渡るときに受け取るものは? 正解:テムズテーション!45
45 テムズテーション! 地下鉄の駅名みたいだ。人々が下りていったり、上がってきたりする。
46 モータウン・グループのテンプテーションズを参照。47
47 「My Girl」や「I Wish It Would Rain」、「Just My Imagination」、「The Girl’s Alright with Me」を聴いてみて。
48 水は不透明か? あなたは曇っているとか透明ではないとか言うかもしれない。不潔とか不純とか、混濁しているとか濁っているとか言うかもしれないけれど、不透明だなんて言うだろうか? たとえ汚れていても水はいつでも透明ではないかとわたしには思える。それは水の根本的な概念ではないか? それはわたしたちのこだわっているものではないか?
1 『サイコ』は覚えている? あのフロントガラスにワイパーが擦れる音。(おそらくあれはバイオリン。)そこには一種の執拗さがあった。何かを予感させるような。川の水、とりわけ夜の川の水が持っているような。あの執拗さが止まることはない、川が流れつづけるように。事実、あのバイオリンは止まらない。わたしの頭の中で延々と鳴り響く。果たして川に終わりはあるのか?
2 果たして川に終わりはあるのか? たとえあなたがここからテムズ川が北海に流れ込むのを目で追っていったとしても、そこに終わりはあるのか?
3 果たして川に終わりはあるのか? そう、川はただ流れつづけ、また別の名前となって流れていく。
4 バーナード・ハーマンが音楽を手掛けた、アルフレッド・ヒッチコックの1960年の映画。
5 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。わたしの視線はさまよいはせず、時間が止まったように感じる。そして、その川がわたしの視界を流れていく。
6 その水をじっと見つめながら、わたしは意味のめまいに襲われる。
7 その水をじっと見つめながら、わたしは意味のめまいに襲われる。水は究極の結合だ。無限の形態、関係性、内容。(わたしは川の近くに立っていると、自分がどこに立っているのかわからなくなる。)
8 この歌を知っている?
「ブラー、ブラー、ブラー、ブラー、月 、
ブラー、ブラー、ブラー、の上 、
ブラー、ブラー、ブラー、ブラー、口ずさむ 、
ブラー、ブラー、ブラー、ブラー、愛を 。」
9 アイラ・ガーシュウィン作詞「Blah, Blah, Blah」(1931年)より。10
10 (時にその川から「ブラー、ブラー、ブラー」と聞こえてくる。) もしかしたら違うかもしれないけど、「Blah, Blah, Blah」みたいだ。ただ、「月 」と「口ずさむ 」が、「旋律 」、「まもなく 」、「やくざ者 」、「砂丘 」、「6 、「賜物 」、「まぬけ 」、「ならず者 」、「12時 」、「魔術 」、そして、これまで聞いたことのないいくつかの単語の間をさまよう。
11 水はあらゆるものの存在から得られる透明性だ。すなわち水は地球を通してふるいにかけられ濾過される。地球、帯水層は不純物を取り除き、純粋性を獲得する。このフィルターが絶妙な平衡を維持し、結果として、いかなるものとも似ても似つかない物質が得られる。あらゆるものがひとつのアイデンティティに収束する。水というアイデンティティに。
12 水の間とは? 水は複数形か? たとえひとつの川でも、単数形だなんてことがありえるだろうか? その水はどこから来たのか?
13 あなたは水の概念を守りつづける。それはあなたが育った環境の水で、透明で性的な水。ともかくこれはあなたの個人的なアイデンティティの一部であり、たとえ見知らぬ人であれ、あらゆる人々と共有するもの。アプリオリな交わり。
14 繊細な肌理、はかない構造。なんて捉えどころのない財宝!
15 テムズ川、北極の氷山、わたしのグラス、雨粒、結霜した窓ガラスの表面、わたしの目、そして、あらゆる極小の小宇宙的なわたしの(そしてあなたの)細部の中に、すべての水が収束する。
16 不可分の連続性は水に内在するものだ。この連続性はわたしたちの内の最大を占めるものでありながら、わたしたちを超越している。この連続性こそが、わたしたちが水に及ぼす影響というものをわたしたち自身に及ぼす影響に変える。すなわち「わたしはテムズ川だ!」あるいは「テムズ川はわたしだ!」というように。
17 これは自然か人工か?
18 これは人工か単なる異常か?
19 これは単なる異常か非現実か?
20 これは非現実か? あるいはもうひとつの現実か?
21 これはもうひとつの現実か? そしてもうひとつの水か?
22 あなたはこの水を感じる?
23 昨年のクリスマスイヴにその川で年配の男性が見つかった。(ウールコート2着とジャケット1着を含む)たくさんの服を着込んでいたため、警察は男を引き揚げられなかった。(遺体は桟橋からロープで引き揚げられた。)
24 ちゃんと数字を気にしている? あなたはすべての脚注を読まないかもしれない。疲れてどこかへ行ってしまうだろう。(しかし、ここにはもっと多くの、たくさんの写真、たくさんの脚注がある。あなたの後ろや廊下の向こう、そして、別の部屋にも。)
25 この世界の不透明性は水の中で霧散する。
26 黒い水は世界の不透明性を霧散できない。
27 黒い水は解毒薬(あなたの、そしてわたしの)。
28 黒い水の暴力性とは、その無水性だ。
29 夜、あなたはその黒さを見ることができない。そこにはただ闇のみ。あなたがその黒さを見ることができるのは昼だけ。そこで、あなたはそれが反射ではないと知る。
30 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。わたしの視線はさまよいはせず、時間が止まったように感じる。そして、その川がわたしの視界を流れていく。
31 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。わたしは時間が止まったように感じる。ためらいの瞬間ではない。わたしは飛び込みたくない。ただ見ていたいだけ。
32 (目を凝らす、ルーペが必要かもしれない)とても小さな集合体の中のさらに小さな無数の球体が波に乗り、離れてみると、泡が波の表面を転がっている。
33 この脚注はどう? 気に入った? 数字の位置を数インチずらすこともできたけど、そしたら内容が変わってしまったかもしれない。
34 すべての隠れ場所を見て!(瞬時にそれができるなら。)
35 山岳地帯?(地図に記すには殺風景な土地。)
36 (この複雑な切子面と透明な見かけ:移ろうガラスの街!)
37 数日前、日付が変わる頃に10代の少年がウォータールー橋から飛び降りた。バイクを橋の上の街灯にチェーンで留めたままだった。
38 一時的な避難所?
39 (あなたはその川で何をしているの?)
40 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。わたしは時間が止まったように感じる。ためらいの瞬間ではない。わたしは飛び込みたくない。ただ見ていたいだけ。もっと遅く、もっと速く。その川が流れていく時間の中にいたい。その川の流れと自分自身を同調させたい。すべてが見たい。(わたしにとってその川の流れが速すぎるのはわかっている。)それでもわたしはそれを見ていたい。その不明瞭さの向こうを見たい。それが見えるまで見続けたい。見続けていたい。
41 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。わたしの視線はさまよいはせず、時間が止まったように感じる。そして、その川がわたしの視界を流れていく。
42 わたしの視線がその水に止まる、その川のどこか(この点)に。そして、わたしの視線が止まるとき、かつて見たことがないものを見ているかのような気持ちになる。どうして水はこんなにもよそよそしいのだろうか。
1 水がほっとため息を吐き。水がちゅうちゅうと吸い。水がぺろぺろと舐め。水がぴちゃぴちゃと飲み。水がびちゃん。水がぼちゃん。水がばちゃん。水がざぶん。水がざぶざぶ。水がじゃぶじゃぶ。水がさらさら。水がしんと静まりかえり。水がどっと流れ出し。水がぶしゅっと噴き出し。水がぶくぶく泡立ち。水がごぼごぼ流れゆき。水がちゅうちゅうと吸う。
2 夜、その川は可能性の風景の音を奏でる。
3 夜、その川は可能性の風景の音を奏でる。耳をすまさなければ、それは聴こえてこない。急流が生み出すホワイトノイズ以上のものを聴くためにはということだが。そして、あなたが暗闇の中で耳にするのは繊細で捉えどころのない音。昼もそこにあるはずの音は、光に遮られ、聞こえない。
4 どの川でブルース・スプリングスティーンは恋人を妊娠させたのか?5
5 「The River」6 を参照。(彼はその川の名前を言わない。)
6 ブルース・スプリングスティーンのアルバム『The River』(1981年)に収録された「The River」。(…俺たちは車であの川に向かい、飛び込んで泳いだものさ…俺たちが泳いだあの川。それから俺はメアリーを孕ませた。彼女はそれだけ書いてよこした…夜、俺たちはあの川に向かい、飛び込んで泳いだ…叶わぬ夢はまだ夢のままなのか、それとももっと酷いのか。だから俺はあの川に向かう。そこに水がないのはわかっているが。)
7 (あなたはその川で恋人を殺したの? あなたたちはその川で恋人を殺したの? あなたはその川で恋人を妊娠させたの? あなたはその川で何をしたの?)
8 あなたはその川で何をしているの?
9 あなたはその川でまだそれをしているの?
10 すべての隠れ場所を見て! 隅から隅まで。(瞬時にそれができるなら。)
11 数年前、若い役者がその川に身を投げた。エドガー・アラン・ポーの生涯を描いた舞台で、彼はちょうどポーの役に抜擢されたところだった。その後すぐに、彼は演出家にその役を外し、彼が彼自身を演じる役に置き換えるよう進言していた。
12 川の話。川沿いのシーンからはじまる(おそらくライン川)。夏の日の明け方、夜が明けようとしている。あたりはまだ薄暗い。男娼が河岸に立っている。ほどなくひとりの客が彼に声をかけ、ふたりはキスを始める。ところが男娼は、男性のような服装をしたそいつが実は女だと気づき怒り狂う。エルヴィラという名前のその客が男娼仲間に打ちのめされる。物語の後半、あなたはエルヴィラは男として生まれたことを知る。自分が愛する男、アントンを喜ばせるためにエルヴィラは性別を変えた。だが、アントンは彼が女であることを望んではいなかった。最後に、エルヴィラは自殺する。13
13 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの映画『13回の新月のある年に』(1978年)を参照。
14 水が水らしく見えることなんて滅多にないと気がついているのか? たとえば、その水は水とは正反対にあるもののように見える。乾いた、山のような、石のようなものに。
15 (この水が光を反射していないことに気づいたことはある?)
16 水はどのように見えるのか?17
17 ロッキー山脈の航空写真を参照。(特にカナダのロッキー山脈を参照。)
18 (この波を見ていると、いつかハドソン川で見た波を思い出す。)
19 (目を凝らす、ルーペが必要かもしれない)とても小さな集合体の中のさらに小さな無数の球体が波に乗る。ほんの一瞬だけど、線条細工のように精巧な。
20 この脚注はどう? 気に入った? 数字の位置を数インチずらすこともできたけど、そしたら内容が変わってしまったかもしれない。
21 (この波にも見覚えがあるよね?)
22 この脚注(とその他すべての脚注)は、この紙のこの場所(上から10インチ、下から25.5インチ)で、その水の波動に、その水を描くのに使われた茶色がかった緑色のインクに、水、すべての水の概念に、この紙の官能的な表面に、この数字に遭遇した瞬間に、そして、その瞬間のあなたに合流点を与える。
23 順番通りに脚注を追っている? それとも気に入ったものを選んでいる?
24 この水は透明でも純粋でもなく、無臭でもなく無色でもない。25 たしかなことはわからないけれど、何の味もしないと賭けていい。(それは輝いてもいない。)
25 アメリカン・ヘリテージ英英辞典の水の定義を参照。
26 これは水か?
27 どの川でハンク・ウィリアムズは自殺しようとしたのか?28
28 「Long Gone Lonesome Blues」を参照。29(彼はその川の名前を言わない。)
29 ハンク・ウィリアムズのアルバム『Low Down Blues』(1950年)に収録された「Long Gone Lonesome Blues」。(魚を見るためにその川に向かった。なのに、そこに着いたら孤独で死にたくなったんだ。そして俺は飛び込んだ。だが、その忌まわしい川に水はなかった…)
30 あなたは寒い日にそれを見た。薄くなっていることに気がついた? その水の動きが少しだけ速く、風も流れも弱いのに波立っていたことに気がついた?
31 ひとつ前の脚注でわたしが述べた濁りの薄さに気づいた? これが水の別の側面。水はあなたの投影を吸収する。
32 この歌を知っている?
「ブラー、ブラー、ブラー、あなたの髪
ブラー、ブラー、ブラー、あなたの瞳
ブラー、ブラー、ブラー、ブラー、愛する
ブラー、ブラー、ブラー、ブラー、空に 。」
33 アイラ・ガーシュウィン作詞「Blah, Blah, Blah」(1931年)より。34
34 (時にその川から「ブラー、ブラー、ブラー」と聞こえてくる。もしかしたら違うかもしれないけど、「Blah, Blah, Blah」みたいだ。ただ、「瞳 」と「空 」が、「女ども 」、「叫び声 」、「男ども 」、「ため息 」、「ため息 」の間をさまよう。)
35 闇に紛れて。それは夜のみで、やがて流れ去る。しかし、その水の黒さは消えないだろう。その黒さやその水は流れ去っても、決して消え去ることはない。
36 その黒さに包まれて、あなたはしばらくの間そのまま進んでいく。あなたの身体から力が抜けて、その流れはあなたを運んでいく。その流れはあなたを引き戻し、この黒い水流から外れたところ、ここから少し戻ったところ、それほど離れていない河岸へと届ける。再び姿を現す。だがそれはもう問題ではない。
37 黒は場所だ。それがどのようなものかもわからないし、見ることもできないけれど、そこにあることはわかる。そこに行くことはできるが、どこにあるのかは決まっていない。黒は傷むことがなく、不活性で腐敗することもない。金のように。そして、それがどこであろうとも常に変わることがない。あなたはそれについてそれほど知らないし、その正体が明らかになることもない(それが黒の概念)。ただそこに行くしかない。黒はあなたの信仰を宙吊りにできる場所だ。
38 闇は太陽を映し出す。黒は無を映し出す。
39 闇は太陽を映し出す。黒は無を映し出す。(「悲しみと無の間にあって、おれは悲しみを選ぼう。」)
40 ウィリアム・フォークナーの小説『野生の棕櫚』(1939年)より。