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印象派の行方 モネ、ルノワールと次世代の画家たち  2012年1月21日(水)→7月8日(日) 9:00 - 17:00(入館は16:30まで)会期中無休

クロード・モネ
《国会議事堂、バラ色のシンフォニー》
1900年 油彩/カンヴァス
82.0×92.6cm

あなたの知らない「印象派」

自然や都市に身を投じ、自らの眼に映る世界を明るい色彩で生き生きと描き出した、フランス印象派の画家たち。そのグループとしての活動は長くは続かず、1870-1880年代の10年余り、計8回の展覧会をもって終焉を迎えます。しかし、彼らの試みの波紋は大きく、同時期のセザンヌやゴーガン、スーラらの革新的な絵画も、印象派の内部や周辺から生まれたものでした。

印象派の画家のなかでも、20世紀へといたる長い画業の最後まで探究を続けたのが、モネとルノワールです。ふたりの画家は19世紀末に評価を確かなものとしますが、老境に入ってもなお貪欲に制作に取り組むなかで、ボナールやマティス、ピカソら、新進の前衛画家の称賛を受けていたことは、あまり知られていません。このことは、モネとルノワールの画業のたゆまぬ発展を物語ると同時に、印象派に対する後年の評価を考えるうえで、興味深い事実です。

ピエール・オーギュスト・ルノワール
《水浴の後》
1915年 油彩/カンヴァス
38.8×50.5cm

モネとルノワールは印象派展以後、どのように制作を展開していったのか―。20世紀の画家たちは、ふたりの先達に何を見出していたのか―。約60点の出展作品により、次世代のまなざしから見えてくる「印象派の行方」をうかがいます。

印象派と次世代の画家たちの人物相関図

第1章 モネとルノワール

1874年に第1回展を開催した印象派展は、第3回展(1877年)の後、早くも転換期を迎えます。それまで中心的な立場にあったルノワールとモネが、グループの活動から距離をおくようになります。印象派を離れて展開された両者の模索はどのようなものだったのでしょうか。

《セーヌ河の日没、冬》

クロード・モネ
《セーヌ河の日没、冬》
1880年 油彩/カンヴァス
60.6×81.1cm

《ロバに乗ったアラブ人たち》

ピエール・オーギュスト・ルノワール
《ロバに乗ったアラブ人たち》
1881/1882年頃 油彩/カンヴァス
55.1×65.6cm

第2章 最後の印象派展をめぐる画家たち

《グランカンの干潮》

ジョルジュ・スーラ
《グランカンの干潮》
1885年 油彩/カンヴァス
66.0×82.0cm

スーラが1885年から取り組んだ点描技法は、盟友シニャックとともに、最後の印象派展で大きな反響を呼びました。ピサロ、ファン・ゴッホらも、彼らに続いて次々に点描技法を試み始めます。

彼らの目的は、印象派の明るい色彩をより研ぎ澄ませつつ、秩序だった構図のもとに明確な形を描き出すことでした。

出品作家

スーラ、シニャック、ピサロ、ファン・ゴッホ、ゴーガン、ルドン

第3章 セザンヌ

《砂糖壺、梨とテーブルクロス》

ポール・セザンヌ
《砂糖壺、梨とテーブルクロス》
1893-1894年 油彩/カンヴァス
50.9×62.0cm

セザンヌもまた、モネやルノワールと同じく、第3回展を最後に印象派展への参加をやめ、故郷エクス=アン=プロヴァンスとパリを往復しつつ、独自の探究の道に入ります。

20世紀絵画への影響で知られるセザンヌですが、軽やかな筆致による印象派の絵画を堅固なものにしようとしたその試みは、「印象派の行方」のひとつを指し示しているといえます。

第1章 モネとフォーヴィスム

《シャトゥー》

モーリス・ド・ヴラマンク
《シャトゥー》
1906年頃 油彩/カンヴァス
65.4×81.1cm
© ADAGP, Paris & SPDA, Tokyo, 2012

1905年のサロン・ドートンヌで発表されたマティス、ヴラマンクらの作品は、「フォーヴ」(野獣)と名指され、大きな波紋を投げかけました。

一方、同時期のモネによる作品にも、躍動する筆致、大胆で情緒的な色彩が際立つようになり、その絵画はさらなる展開をみせています。

並行して色彩の高揚をみせたフォーヴィスムの画家たちとモネ。その比較を通じて、モネの晩年の探究を探ります。

出品作家

モネ、ヴラマンク、マルケなど

第2章 ボナール

《地中海の庭》

ピエール・ボナール
《地中海の庭》
1917-1918年 油彩/カンヴァス
138.6×197.3cm

ボナールはモネとルノワールとは長年にわたって交流を保っていました。

モネとの共通点である日本美術からの影響や日常的な風景の主題。ルノワールから受け継いだ女性像の主題とあざやかな色彩。彼は、この印象派の画家たちから何を汲み取っていたのでしょうか。

出品作家

モネ、ルノワール、ボナール

第3章 マティスとルノワール

《横たわる裸婦》

アンリ・マティス
《横たわる裸婦》
1921年 油彩/カンヴァス
54.0×64.7cm
© 2012 Succession H. Matisse / SPDA, Tokyo

ルノワールが亡くなるまでの2年足らずの間、マティスは少なくとも16回にもわたりルノワールのもとを訪れました。巨匠とその作品に直に接したマティスの興奮は、当時の書簡にうかがうことができます。

マティスが最晩年のルノワールに見出していたものを探ることで、晩年のルノワール作品の本質について考えます。

第4章 ピカソとルノワール

1919年にルノワールが亡くなってまもなく、ピカソはルノワールの肖像写真や作品を基に制作を行なっています。

ピカソのルノワールへの接近は、彼の「新古典主義の時代」に重なります。この時期の特徴である生命感あふれる女性像を描くうえで、ルノワールの描く裸婦像は、ピカソの手がかりのひとつとなっていたのです。

《裸婦》

ピエール・オーギュスト・ルノワール
《裸婦》 油彩/カンヴァス
113.2×85.3cm

《母子像》

パブロ・ピカソ
《母子像》
1921年 油彩/カンヴァス
101.8×83.5cm
©2012-Succession Pablo Picasso-SPDA(JAPAN)

建築写真:石黒 守
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