コレクションハイライト

レオナール・フジタ (藤田嗣治、1886-1968)

レオナール・フジタ (藤田嗣治) 《姉妹》

1950年 油彩/カンヴァス
60.8 x 45.3 cm、85.5 x 69.0 cm(額寸)

展示中

フジタ自身の手による八角形の額縁に納められた本作品は、画家が戦後パリに戻ってまもなく描いたものです。画面の大半を占めるベッドの上では、ナイトキャップをかぶり寝間着をまとった二人の少女が、カフェ・オ・レとクロワッサンの朝食をとっています。ふと食べるのを止めた左の少女はこちらを見つめ、右の少女は左側の少女の方をそっと見つめています。交わらない二人の視線からは、起きがけのけだるさが伝わってくるようです。白いナプキンには赤で、また白い食器には青で細いラインがアクセントとして施され、それらが色違いの寝間着と相まって、画家のこだわりがうかがえます。


プロフィール

1886年(明治19)、現在の東京都新宿区新小川町の陸軍軍医の家に生まれたフジタは、父の上司だった森鷗外の勧めもあり東京美術学校西洋画科に入学。当時主流であった明るい外光派風の洋画にあきたらず、1913年、26歳の時にフランスにわたります。

パリのモンパルナスに住んだフジタは、ピカソやヴァン・ドンゲン、モディリアーニらエコール・ド・パリの画家たちと交流しました。彼らに刺激され、独自のスタイルを追究するなかで、日本や東洋の絵画の支持体である紙や絹の優美な質感を、油絵で再現しようと思いつきます。手製のなめらかなカンヴァスの上に、面相筆と墨で細い輪郭線を引き、繊細な陰影を施した裸婦像は、「素晴らしい白い下地(grand fond blanc)」「乳白色の肌」と呼ばれて絶賛されました。1919年にはサロン・ドートンヌに出品した6点の油絵がすべて入選し、ただちに会員に推挙されるなど、フジタの作品はパリで大人気となりました。

1929年、凱旋帰国展のため16年ぶりに一時帰国。1933年以降は日本を活動の拠点とします。日中戦争がはじまると、祖国への貢献を願い大画面の戦争画の制作に没頭しますが、戦後は画壇から戦争協力者として批判を浴び、その責任をとる形で日本を離れます。

再びパリに暮らし始め、日本には戻らないと決めたフジタは、1955年にフランス国籍を取得。1959年、72歳の時にランスの大聖堂でカトリックの洗礼を受け、レオナールという洗礼名を与えられます。最晩年には、ランスに感謝を示したいと礼拝堂「シャぺル・ノートル=ダム・ド・ラ・ペ(通称シャペル・フジタ)」の建設を志し、完成から2年後に没しました。

ポーラ美術館の収蔵するレオナール・フジタのコレクション

ポーラ美術館のコレクションの一部を掲載しています

小さな職人たち

1958年秋から翌年の春にかけて、フジタはおもにパリを舞台にさまざまな仕事に従事する子どもたちの姿を数多く描きました。連作〈小さな職人たち〉に登場する子どもたちは、それぞれの仕事に真剣に取り組んでいるものの、そのしぐさにはどことなくユーモアが感じられます。

連作〈小さな職人たち〉における重要なモティーフのひとつは、仕立て屋やガラス職人、椅子職人のような手先の技術によって物を製作する職人たちです。そのほかには古くからパリの路上でみられた辻音楽師や焼き栗売り、監視員や煙突掃除夫などさまざまな職種がみられます。各作品はタイルのような正方形の世界に表され、そこにフジタ自身の空想が重ねあわされており、彼の子どもを描いた作品の中でも、ひときわ異彩を放っています。

〈小さな職人たち〉は、当初はアトリエのアンティークの木製扉を装飾するために描かれましたが、次第に点数は増え、フジタが「私の巴里のアトリエの壁面には二百何枚かのこの小品を張り付けた。恰もタイル張りの如くにした(中略)皆釘付けであった」と述べているように、彼は他のタイル状の小品と共にモンパルナス、カンパーニュ=プルミエール通りのアトリエの壁一面に飾り、それらに囲まれていることを喜びとしていました。 何よりも技術そのものを重んじ、作家はアルティスト(芸術家)であるよりも前に、腕利きのアルティザン(職人)でなければならないと語ったフジタ。本連作には、彼の職人仕事に対する敬意、そしてパリという街への特別な思いが凝縮されています。

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扉絵

フジタは1956年から1958年にかけて、彼が1953年のスペイン旅行に際して持ち帰ったアンティークの木製扉を装飾するためのパネル画を制作しました。「スペインの木彫の木戸の欄間にも数十枚の小型の画を挟んだ」とフジタが述べているように、それらは扉に施された寸法の異なる矩形の開口部(フジタのいう欄間)の化粧板として、彼自身によって描き下ろされたものです。それゆえ、それぞれの画面が縦横比の異なる寸法となっており、《くちづけ》のように極端に縦長のものや、《裸の子どもたち》のようにやや横長のもの、また《浴室の少女》のように正方形に近い形のものなど、5種類以上に分類できます。

これらのパネル画は、1956年に制作された作品には、赤や緑などの原色を多用した、ルネサンス期以前のプリミティヴ絵画を思わせるものがみられますが、1958年の作品になると中間色を効果的に用いた連作〈小さな職人たち〉(1958-1959年)と同様の配色の傾向が認められるようになります。また、描かれた子どもたちのポーズも、前者では素朴でややぎこちなさを感じますが、後者になるとより自然な表現に移行し、筆致には奔放さが増しています。さらに、後者にみられるテーマには"concierge"(アパートの管理人)や"maternite"(母性、あるいは産院)などがあり、その後に制作される〈小さな職人たち〉のなかのテーマと相通ずるものもみられます。

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